臆病者で何が悪い!
「生田の、お姉さん……。すごく美人なんだろうなって、確かに想像つくかも……」
沙都がひとり言のように囁いた。
「”顔だけ”は、な……」
思い出しても苦笑しか出ない。
俺の三歳年上の姉――。
俺の知る限り、そこいらのモデルや女優より無駄に綺麗な顔立ちをしていると思われる。
もちろん地元ではかなりの有名人だった。
『椿ちゃん、またスカウト来てたんだってぇ。凄いわねぇ。本当に女優さんみたい』
近所の人たちは、姉を見る度感嘆を漏らす。
『生田、おまえの姉ちゃん、マジやばいって。あんな人、自分ちをうろうろしてるのかと思ったら、俺、落ち着かねーよ。姉として認識できずに過ちを犯しちまいそうだ。おまえは大丈夫なの? あれじゃあ、姉じゃなくて”女”だろ』
――アホか。
『なあ、おまえんち、行ってもいい? 今のうちにサインもらっときてー』
――むしろ、突然乗り込んで来てくれ。
同級生の男たちはやたらと俺の家に来たがった。
『椿ちゃん、本当に綺麗ねぇ……(溜息)。もう、デビューしちゃいなさいよ。椿ちゃんなら間違いなく売れっ子になれるわ。おばさん、太鼓判押しちゃう』
近所のおばちゃんは、姉貴と出くわすたびに引き留める。
『いえ。みなさん買いかぶり過ぎなんです。私には芸能界なんて無理なんで。都会にはもっともっと綺麗な人がたくさんいるので、私なんかじゃ通用しません』
『そんなに綺麗なのに、謙虚ねぇ。非の打ち所がない! もう、ホント、見惚れちゃう!』
『やめてくださいよ~』
この上なく意味のない会話を毎度繰り返し。
姉貴は姉貴でこれ以上ないような、完璧な表情を振りまいて歩く。満面の笑みでありながらどこか恥ずかしそうにして初々しさも忘れない。
それで、周りの男も大人も、魂を抜かれたようになる。
でも、一たび自宅に帰りその扉を閉めたら――。
『何ぼけっとしてんの? お茶持って来いよ。お姉さまのお帰りだよ』
俺を見るなり、召使か舎弟かのように扱う。
『あ? 俺、これから出かけんだけど……』
『はぁ? 弟の分際で、なに口答えしてんの?』
外で見せている天使みたいな笑顔が、家に帰るとただのスケバンに変貌を遂げる。
どこの、レディースだよ。
『そんないつもすべてがつまらないみたいな顔してさ。その辛気臭い顔なんとかしないさいよ。こっちの気分まで下がるわー』
『いてっ』
俺の横をすり抜けながら、意味もなくケリを入れて来る。
『っなにすんだよっ――』
『お茶! 私の部屋に持って来て。3分、いや1分以内』
『だから、俺は出掛け――』
バンっ――!!
俺の話なんて聞く耳はもたない。壊れそうなほど乱暴に姉貴の部屋のドアが閉められた。
クソっ。
あんな奴。あんな奴……。
中学生の俺は悔しさを噛み潰しながらコップに麦茶を注ぐ。
『ほら、持って来たぞ。クソ姉貴――』
『やーん、本当? 嬉しー。たける君、ありがとう!』
姉貴の部屋のドアを開けると、表情と身振り手振りだけで静かにしろと俺に訴えて来た。
出している声色と表情がちぐはぐだ。
猫なで声と、鬼の形相。
どれだけ器用なんだよ。
『えー? 私? 私、そんな可愛い子じゃないもん。私なんてたける君には釣り合わなーい』
何が、『可愛い子じゃないもん』だ。
携帯電話の向こうの男、たける君はきっとまだ何も知らない。
この女の本性を――。
「それ、本当? 生田、絶対、面白おかしく脚色してるでしょー!」
「嘘じゃねーよ!」
沙都が呑気に笑うから、俺は本当の話だとついむきになって訴えた。
いつもそうだった。
誰も俺の話なんて信じてくれなくて。もう、真実を告げる気もなくなっていった。
「……でも、生田のお姉さんだもん。きっと根っこの部分は優しい人なんだと思う」
「知らないからそんなこと言えんだよ……」
まあ一つあの姉に感謝するとしたら、あんな姉を持ったおかげで、俺は女を外見で判断するような愚かな男にはならなかったということくらいか。