臆病者で何が悪い!


10分ほど経った頃、部屋の扉が開く音がした。

「内野さん、いる?」

え――?

「は、はいっ?」

どうして、田崎さんの声がするのだろう。

さっき、帰ったよね?

適当な姿勢でいたのを超特急で正す。

「よかった。まだいた」

ほっとしたように、顔をくしゃっとさせて微笑む田崎さんが目の前に現れる。

幻? 夢? うつつ?

誰に問い掛けているのか分からないけれど、脳内にはそんな言葉が駆け巡った。

「内野さんのことだから、一人で頑張ってるんだろうなって」

田崎さんがそう言いながら、茶色い紙袋を掲げて見せた。

「差し入れ持って来た」

「え……、ええっ!」

私は、目を何度もぱちくりとさせた。まだ状況がよく分かっていない私の隣の席に田崎さんが座る。

「僕も夕飯まだだからさ。一緒に食べていい?」

「え? は、はい……」

なに? 今、内野沙都に何が起きているの――?

軽いパニックを起こしている。

「サーモンサンドとエッグサンド買って来たんだけど、内野さん、どっちが好き?」

なんて言いながら田崎さんはニコニコと紙袋からサンドイッチと飲み物を出している。すぐ、隣で。田崎さんと私、他の誰もいない二人きりの空間で――。

「内野さん?」

「は、はいっ」

急に私の顔を覗き込むように見つめてくるものだから、更に胸が跳ねあがる。

「どっちにする?」

その笑顔は、私の胸を甘く疼かせ、息苦しくさせる。

「じゃあ、サーモンで」

「了解」

その優しさが、私の心を溶かそうとするから困る。

「田崎さん……。もう帰ったとばかり」

恐ろしいほどの心拍数の中、なんとか言葉にする。

「僕もどうせ一人の夕飯だし。内野さん、仕事してるんだろうなって思ったらね。内野さんは、僕の同僚でしょ? それも同じ係の後輩だし。それに――」

優しげな表情を少し真剣なものにして、田崎さんが私を真っ直ぐに見た。

「僕が一番近くで君の頑張りを見ているから。なんとなく……?」

「あ、りがとうございます……」

嬉しくて。心のどこかで喜んじゃいけないって自分に警告しているけれど、そんな警告を無視したくなる。手放しでこの状況を喜びたくなる自分がいる。

「うん。じゃあ、食べようか」

どうしようもなく嬉しくて。嬉しすぎて、田崎さんの顔をまともに見られない。なんとなく小さな口でいただいたサンドウィッチを食べている自分がいる。ドキドキして味なんてよくわからないけど、こうして夜のオフィスで田崎さんと二人でいることが幸せで。結局、自然と笑顔になってしまう。

「それにしても、内野さんは少し頑張り過ぎ。見ていて、心配になる時もある。と言っても、君の性分じゃ頑張っちゃうんだろうなとも思う」

田崎さんと机を並べてもう1年。後輩としてでも私のことを見ていてくれたんだと思うと、それだけでもう胸が一杯になる。

「先輩としては、たまには夕飯でも御馳走くらいしないとな」

「そんな! いいです」

咄嗟に遠慮してしまって、少し後悔している情けない私。

「内野さん。こういう時は、先輩の顔を立てる。もし嫌じゃなければ、今度付き合ってよ」

「は、はい……」

いいんでしょうか?
こんなにいいことが私なんかの身に起きて、いいのでしょうか?
何か悪いことが起きたりして。まさか、明日地球が滅びる?

「じゃあ、今度、慰労会ね」

「よろしくお願いします……」

人生、生きていれば、こうしてたまにはいいこともあるってことなのかな。人生、捨てたもんじゃないのだろうか。就職してから四年ちょっと。こんなに胸躍るようなこと、一度もなかった。

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