臆病者で何が悪い!
「大体の素案は読ませてもらった。大枠ではこれでいい。あとは、この部分のもう少し細かいデータがほしいな。データは多いにこしたことはないからな」
「分かりました」
「申し訳ないが、今日午後一で局長のところに説明に行きたいんだ。1,2時間で頼むよ」
「はい。では」
やっとここまで来た。
素案を作るまでが一番大変なわけで。これで局長の了解が得られれば、ほぼこの仕事の終わりは見えたと言っていい。
席に着くと、ふっと息を吐いた。
課長から頼まれたデータに必要な資料をピックアップしようとした、その時だった。
「すみません。ちょっと、席外します!」
突然、沙都の声が耳に入る。
顔を上げると、沙都が部屋を出て行くのが見えた。
「内野さん、突然どうした?」
沙都の係の係長が驚いたように声を上げる。
「ええ、なんでもないと思いますよ。ああ、そうだ。今、書庫から資料取って来るのをお願いしたんです。それで書庫に行ったんだと思います」
田崎が取り繕うように係長に言葉を発しているのを聞いたら、嫌な胸騒ぎがした。
「少し、資料を頼み過ぎたので僕も手伝って来ます」
え――。
田崎はそう言うと、沙都を追いかけるように部屋を出て行った。
一体、何を――。
嫌な予感が頭を巡る。
書庫で二人きりになる。
そう思ったら勝手に身体が動いていた。
「生田係長、どこに」
「すぐ戻ります」
課室を出ると、俺は走り出していた。
どこに行ったんだよ。
廊下にはもう田崎の姿は見えなかった。
打ち付けて来る心臓の音が余計に俺を焦らせる。
どうしてこうも、嫌なことしか想像できないのだろう。
行先として一番考え得る場所である書庫にたどり着く。
おそるおそるその扉を開いた。
「――仕事中にああいうこと、やめてください」
少し距離のある場所から沙都の声が聞こえた。
誇りっぽくて窓のない書庫は独特の匂いがする。
部屋の奥から聞こえる声にさらに鼓動が早くなる。
「君は、こうでもしないと僕と話をしてくれない」
「私は何も話すことはないんです」
「それは、君の本当の気持ち? 希のためだろ? それと――」
こつん。一歩踏み出す靴の音――。
「生田のため。そうでしょ? 内野さんはそういう人だ。今、付き合っている生田を裏切るようなことはできない。だから、無理に僕とのことは考えないようにしている」
「やめてくださいっ!」
沙都の悲痛な叫びが俺の胸をそのまま貫いて行った。
「それで生田は嬉しいのかな。本当の気持ちを誤魔化したまま傍にいられて、それで生田は幸せだと思う?」
「勝手なこと言わないでください――!」
「そんなに感情的になるってことは、僕が言ってることが図星なんじゃないのかな?」
――図星なんじゃないのかな?
沙都の必死になる声をこれ以上聞いていられなくて、俺は頭で考えるより前に飛び出していた。
「いい加減にしろ!」
「生田……っ」
書庫に建ち並ぶ書棚と書棚の間で、沙都を自分の背中の後ろに隠す。
「どうなさったんですか、生田さん」
表情一つ変えない田崎が俺に問い掛けた。
「どうしたって、それはこっちの台詞だよ」
「生田さんには関係のないことだと思いますが?」
青ざめた沙都が俺の後ろで固まっている。
沙都が今、どういう心境でいるのか。考えるまでもない。
「おまえはもう戻れ」
「でもっ」
「いいから」
強い口調で言うと、沙都は書庫を出て行った。