臆病者で何が悪い!
「あれ以上、内野さんが何を言うか聞いていられなくて飛び込んで来た?」
沙都がいなくなると、田崎が腕を組み俺を見下すように見て来た。
「いい加減にしてください。俺はあんたが何を言おうと沙都を信じるよ。沙都以外の言葉は信じない。そう決めたんだ。だから、何をしても無駄です。もうこれ以上無意味なことはやめてくれ」
「なら、そんなに焦るなよ。僕には強がっているようにしか見えないよ」
強がりだってなんだって構わない。
それでも沙都を追い詰めるようなこと、やめさせたい。
「俺は、沙都が以前あんたを好きだったことを気付かれているって伝えてない。それを知ったら、あいつはきっと傷付くから。だから、これ以上は――」
「おまえ、本当に内野さんのことが好きなんだな」
尊大な態度で俺に顔を近付けて来る。
「でも、今の、僕と内野さんのやり取りを見ていたか? 彼女の目はぐらぐらに揺れてたよ。懸命に堪えるようにね。僕からしたら、そんな内野さんの方がよっぽど可哀想だ。そんなに好きなら、おまえから身を引いてやれば? じゃあ、僕は仕事があるんで」
俺の横をすり抜けて田崎が立ち去って行く。
急に身体から力が抜けて、思わず崩れ落ちそうになる。慌てて書棚に手を付いた。
俺だって、仕事あんだよ――。
「ふざけんなっ」
思わず書棚に拳をぶつける。
これじゃあ、俺が負け犬みたいだ。
部屋に戻ると、沙都が気遣うように俺を見て来た。
なんとかそれに微笑み返す。田崎の姿は視界から排除する。
自分の席に着いて、頼まれていたデータをまとめる。
もう、時間がない。
余計なことは、今は考えるな。
言うことを聞かない自分の心をなんとか制御しようとする。
パソコンのキーボードを絶え間なく叩き、集めた資料を精査する。
――彼女の目はぐらぐらに揺れていたよ。
勝誇ったような田崎の目が、どれだけ目を閉じても消えてくれない。
違う。今は、そんなこと考えている場合じゃなくて――。
局長に見せる資料だ。ミスがあれば、課長の面子を潰すことになる。
しっかりしろ。
資料に並ぶ10年分のデータ。小数点第一位までの数字を分析しながら入力していく。
「生田くん、この資料きちんと見直したのか?」
「何か、誤りがありましたか」
なんとかデータを取りまとめ課長の元へと差し出した。
でも、目を通しているとすぐに課長が俺を見上げて来た。
「ここ、2年ほどデータが飛んでいる。これじゃあ、使い物にならないだろ」
室内に課長の声が響き渡る。
自分の仕事で精一杯だったはずの課員の視線を一身に感じた。
「申し訳ありません。すぐに直します」
課長の指摘の通り、過去10年分のうち2年分がごっそり抜けていた。
見直したはずなのに、なぜこんなくだらないミスを――。
「君ならこのくらいのデータ一時間もあれば完璧にまとめられるはずだ。一体、何を考えてる? 局長にこのまま見せていたらどうなっていたか。この案件が今、省にとってどれだけ大きいものか分かっているだろう。たかが参考資料のデータかもしれない。でも、こういう些細なところを手を抜けば、必ず重要なところにも抜けが生じるんだ。気を引き締めてくれ」
「申し訳ありませんでした」
もう一度深く頭を下げ急いで自分の席へと戻る。
こういう時、何も考えてはいけない。
反省するのは後だ。
今一番大切なことは、とにかくこの資料を完璧に仕上げること――。
「生田さん。ホント、最近どうしたんですか」
「大丈夫。余計な気を回させて申し訳ありません」
心配そうに見つめてくる先輩にそう返し、すぐさまパソコンに向き合う。
俺は、15分でその資料を修正した。