臆病者で何が悪い!


結局、まともに会話をすることが出来たのは翌日のお昼だった。

あれだけ毎日激務で、どうしてそんな力が残ってるんだ――!

けだるい身体を引きずるようにしながら、ちらりと生田の顔を盗み見る。

昨日だって残業の後、この部屋についたのは深夜と言っていい時間帯だった。
それなのに――。

涼しい顔でキッチンに立っている。

明け方まで身体を離してくれなくて、こっちはもうへろへろだって言うのに……。

「ああ、沙都。起きたか? 今、昼飯作ってるから顔でも洗って待ってろ」

「はい……」

もしかして、デキる男はあっちの方もデキるのか……。

なんてくだらないことを考えている場合じゃない。
私は、敢えて、真冬の冷たい水道水で顔を洗った。
肌に突き刺すかと思った。

ひりつく肌を撫でつつ部屋に戻ってくると、テーブルの上には既に料理が並んでいた。

「すご……」

思わず感嘆の声が漏れる。
色とりどりの野菜と鶏肉が入った雑炊。ちょっとした煮物料理。
どれも身体に優しそうだ。それでいて美味しそうでもある。

「ほら、ぼけっとつっ立ってないで座れよ」

「う、うん」

キッチンからもう一皿手にして生田も戻って来た。
そのお皿には切られたりんごが載っている。

「何から何まで、すみません……」

つい敬語になってしまう。
真向かいに座る男を改めて見つめた。
仕事出来て、そこそこイケメンで、料理も出来るって。(そのうえ絶〇)そんな人、小説の世界にしかいないと思ってたよ。

内野沙都。完全に釣り合いが取れていないんじゃないでしょうか。

「なんだよ。人の顔、じろじろ見て……」

「あ、いや、別に」

「何? いい男だなって、見惚れてた?」

「そんなわけ……ある」

「……げほっ」

自分から聞いておいて、生田が口にしていたお茶にむせた。

「急に素直になるなよ。気持ち悪い」

「だって、どう考えてもいい男でしょ。それを否定するほどプライド高くないですよ。いただきます」

本当に、悔しいくらいにいい男ですよ。

美味しそうな湯気を立ち上らせている雑炊を一口食べる。

「おいしい……。最高に、美味しい!」

「そう? ならよかった。疲れた体にはいいかと思って」

「疲れたのは、誰かさんのせいでもあるんですけど」

「だからだろ? ちょっと、無理させ過ぎたかと……」

え……?

それで、こんないかにも身体に優しそうな料理を作ってくれたってこと?

私、大事にされ過ぎじゃないでしょうか?
大丈夫か?
この後、絶対、何か嫌なことがあるフラグだよね?

ダメだ。実経験はろくにないくせに恋愛ものの映画や小説、漫画ばかり読んでいるから、勝手にその後の展開を予想してしまう癖がある。

恋愛もののストーリーをいくつも見聞きしていると、ある一つのパターンが見えて来る。

”シンデレラ曲線”というやつだ。

主人公シンデレラのストーリー上の波乱万丈度を曲線で表したもの。
これが、物語の基本形になると言われる。

だいたい幸せで穏やかな後に、酷いことが起こる――。

でも、それはフィクションの世界だ。

現実の世界は、穏やかなままでずっと進む恋愛だってある。あるはず……。

「生田はズルイ。もうこれ以上怒れないよ。そもそも、最初からそんなに怒ってないし……」

「そっか。安心した」

本当に安心したみたいな声を出すものだから、こっちもこっちで照れてしまうわけで。

「むしろ、起きたら料理が出来てるとか、最高に幸せだ……って思ってます」

俯きつつ、ぶつぶつと呟く。
本当のことほど、素直に喋ることができないものだ。

「まずは、胃袋を掴めって言うしな」

「それは、女の人が言う台詞じゃ……」

生田は何故だか嬉しそうに笑っている。

「相手の心を掴む方法に、男も女もないだろ? ちゃんと、掴まれてくれた?」

目を細めて微笑む、危険なほどに甘い表情が私を覗き込んで来る。

「……掴まれてます」

「なら、俺、いつでも嫁に行けるな」

よ、嫁――!

ドキッとした私とは裏腹に、生田は笑っていた。

「それはさておき、昨日話の途中になっちゃったけど、お姉さんのこと。いろいろ計画立てようよ。辛いこと考える暇をなくさせるくらい、いろいろ盛沢山にして」

微妙な話題に突入しそうだったし、そもそもの本題について話し合わなければいけないから早々に話を変えた。

「ほんのわずかな時間でも、哀しいこと忘れさせてあげたい」

生田が頬杖をついて、黙ったままただじっと私を見ていた。

「私の話、聞いてる?」

「聞いてるよ。ただ、おまえって、人のこととなると本当に一生懸命になるなって思ってさ」

また、そんな優しげな目をして。そんな目でむやみやたらに見て来ないでほしい。いちいち胸が騒ぐこと、分かっているのだろうか。

「だって、お姉さんのこと、私、好きだし。それに何より生田のお姉さんだもん。力になりたいって思う」

それは心からの気持ちだ。大切な人のお姉さんだもん。私にとっても大切な人だ。

「……姉貴にはまったく興味ねーけど、おまえがそうやって俺の家族のためにいろいろ考えてくれるのは嬉しいもんだな」

「そこ、今論点じゃないからっ。もう、いいからちゃんと一緒に考えて!」

「はいはい」

結局、やる気のない生田は私の話をただ聞いていたくらいで、ほとんどのことは私が決めた。次の土曜日、お姉さんに会えるのが楽しみだ。
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