臆病者で何が悪い!
その週末の金曜日。
生田は、次の週からの出張の準備でいつも以上に忙しそうに駆け回っていた。”係長”生田も、既に板についてきて、より頼もしさに磨きをかけている。そんな生田に宮前さんの熱い視線が注がれている気がするけれど、それに気付いてしまう自分が何より嫌だ。
「内野さん……」
「は、はい」
隣から声をかけられて、身体が固まる。これはもう、条件反射のようなものだ。あれから、特別何かを言われるようなことはなくなった。それでも、もう以前のようには振舞えない。
「なんでしょうか」
名前を呼んで来たのに、私の顔をうかがうばかりで何も言わない。より警戒して田崎さんを見る。
「……いや、なんでもないよ。ごめん」
なんなのよ――。最近は生田に特に挑発するようなことはしていないみたいで、安心していたところなのに。なんだか、物凄く胸騒ぎがする。私は田崎さんを許せない。希をあんな風に傷付けたこと。絶対に忘れない。
土曜日、遅い朝を迎え、のろのろとベッドから這い出た。冬の朝は、布団から出るのが億劫だ。ロングカーディガンを肩に羽織って、エアコンのスイッチを入れる。そこら中に重なった一週間分の服を片付けて、たまりにたまった小説やマンガを整理して――。やることなら山ほどある。古ぼけたトレーナーにジーンズに着替える。掃除するにはもってこいの服装だ。
昼食兼用の朝ごはんを食べ終えると、スマホが振動した。
(これから大学に行って来る。飲みには行くと思うけど、俺は一次会で帰るつもりだから。俺のマンションで待ってて)
生田からのメールにそう書かれていた。
とは言っても、盛り上がったら帰れなくなったりするよねーー。夕方くらいまで掃除して、それから生田のマンションに行こうかな。そう心の中で計画を立てた。
夕方に家を出て、それから軽く夕食を済ませてから生田のマンションへと向かった月曜日から生田は出張へと行ってしまう。だから、今晩と明日は、二人でできるだけゆっくり過ごしたい。そう思って、食材の買い物も済ませた。
部屋に入ると、その食材を冷蔵庫へとしまい、テレビをつけた。本当に、無駄なものが一切ない部屋だ。それでも、私が少しずつ自分のものを置いて行くようになって、ちぐはぐな雰囲気を醸し出している。そんな光景も、なんだか気恥ずかしくもあり嬉しくもあった。その変化が私たちの関係も表しているような気がするからだ。
テレビをつけはしたものの、ほとんど番組の内容なんて入って来なかった。BGMとして流れている何かのバラエティー番組の司会の声を横に、改めて生田の本棚を眺める。本当に難しそうな本ばかり。法律の専門書と、そして横文字の本。生田は法学部出身だから法律系の本が多いのは分かる。でも、前から少し気になっていたのは、この英語の本だ。まあ、英語なら社会人のたしなみの一つか。私が、あまりに勉強をしなさすぎるのだ。
大学時代の生田、どんなだったんだろう――。改めてそんなことを思った。生田が、今、大学に行っているからだろうか。きっと、モテたはずだよね。東大生であのルックスで。女が放っておかないよ……。
あ――。不意に、一枚の写真を思い出した。生田の実家で見てしまった写真。女の人と映っていた。
いつ頃のものか分からなかったけど、おそらく大学時代以降のもの――。
当たり前だけど、そこには私の知らない生田がいた。
まあね、生田だって、昔の私は知らないわけだしね――。そんなの、お互い様だ。
「うん、そうだよ」
私のひとり言が、誰もいない部屋に虚しく響き渡った。