臆病者で何が悪い!
俺は俺で、不安だった。
沙都は、俺がニューヨークに赴任すると知って、どんな反応をするのか。
一瞬でも迷うような表情をされたら――。
そう思うと、事実を打ち明けることが怖かった。
遠く離れると知っても、俺といたいと思ってくれるだろうか。
俺との将来を、考えてくれるのか。
考えれば考えるほどに、不安ばかりが湧き上る。
だけど、沙都なら――。
ちゃんと、俺の話を聞いてくれる。そう思った。
最初の頃とは違う。不完全ではあるかもしれないけれど、二人で積み重ねて来た時間もある。
少しずつ、俺を見てくれている、そんな実感もあった。
不安を全部拭い去れるわけでもないけれど、正面から沙都にぶつかろう。
そう決断したんだ。
それは突然だった。
『人事課の者ですが。大事なお話がありますので、人事課長室までお越しください』
翌週から始まる出張の下準備で、その週はてんやわんやだった。
昼飯さえ落ち着いて取れないくらいで、自分の身体がもう一つほしいと思ったくらいだ。
出張は延期なんかできない。ということは、出張までに終えなければならないことは何が何でも週末までに処理しておかなければならないのだ。
だから、その内線電話ですら、最初は「鬱陶しい」と思ってしまったくらいだ。
だが、片手間に手にした受話器を改めて握りしめる。
「人事課長室、ですか……?」
思わず問い直した。
『はい。今から来られますか?』
人事課長――。そんなところから呼び出されるのは、理由はほぼ一つだ。
こちらの都合を聞いているようで、今すぐ行く以外の選択肢はない。
「はい、では伺います」
もう片方の手に持っていた分厚い資料と受話器をデスクに置き、大きなためいきをひとつついた。
「――少し、席を外します。忙しいところすみません」
係員にことわりをいれて人事課長室へと向かう。
人事課長室――。それは、つまり人事異動の話だ。それ以外に考えられない。
席から立ち上がり課室を出ようとすると、嫌な奴と目が合った。
なんだよ――。
必要以上にじっと見られているような気がした。
まさか、俺が人事課に呼ばれたこと、聞かれたかな。
さっき、『人事課長室ですか』と声にしてしまった気がする。
基本的に、人事の話は内密にするものだ。省内に公にされるまで、他言することは禁じられている。
そんな決まり事以前に、田崎にだけは知られたくない。
これ以上あの男と見つめ合う必要もないので、俺はすぐに廊下に出た。
人事課長室に向かうまで、いろんなことが頭を駆け巡った。
とうとう、来たか――。
漠然とは分かっていた。そろそろ転勤を言い渡されてもおかしくはないところだった。
分かっていはいたけれど、日々の忙しさにかまけて深く考えることをしていなかった。
それ以上に、沙都のことを思うと、考えたくなかった――というのが一番の理由かもしれない。
こんなにも近くにいる日々が一変する。
そう思うと、そんなこと俺が耐えられるのか。あいつのいない毎日なんて考えたくもない。
そこへと近付くほどに心が重くなった。
出来ることなら、ばっくれてーな……。
そんな子供じみたことまで思う始末で。
重くなる心と連動して、歩くスピードまでもが遅くなっていく。
ほぼ、人事に拒否権はない。
これから死刑宣告を言い渡される気分で、人事課をくぐった。
せめて、東京の近くで。
新幹線一本で行けるようなところ。
名古屋、長野……ああ、茨城あたりも助かるな――。
それはもう、呪文のように移動距離が短くアクセスのよい地名を唱え続けていた。