臆病者で何が悪い!

その店を後にしてから、そのまま母校の大学へと向かった。

記念講堂の一番大きな教室で、俺が世話になった教授の退官記念最終講義が行われる。

これまで教えて来た何百という卒業生たちが溢れかえるほどに集まっていた。

地位の割には温厚で謙虚な人だったから、俺も尊敬して慕っていた先生だ。
そんな人柄も、この集まった人数が証明しているような気がした。

この講義の後、ゼミのOBで集まることになっている。
だから、講義くらいは一人でゆっくり聴講しようと思い、空いている席に着いた。

「……眞?」

え――?

大教室の教壇、前方をぼんやりと見つめていたら突然声を掛けられた。

「あ……沙奈絵、か」

振り向いた先にいたのは、岩谷沙奈絵――俺が学生時代に付き合っていた人だった。

「そこ、あいてる? 座っていい?」

「ああ」

俺は慌てて置いていた鞄を席から取る。
するとすぐに、沙奈絵がそこに座った。

何年振りか――。

頭の中で年数を計算する。彼女が大学を卒業した時以来だから、5、6年ぶりか?

「久しぶりだね」

「そうだな。確か、ニューヨークに留学したんだよな。それからずっとあっちなの?」

沙奈絵が静かに微笑んだ表情を俺に向けた。
そういう人だった。いつも落ち着いていて、静かに笑っている人だった。

「――そう。なんだかんだと、帰りそびれてて。結局あっちで働き始めちゃった」

「そうなんだ」

大学の一年先輩だった。
沙奈絵といる時間は穏やかだった。感情が揺さぶられることもなく、いつも平穏で。
いい言葉ではないのかもしれないけれど『ラク』だったのだ。

その『ラク』さが、好きだということだと思い込んでいた。
だって、それまでの俺は誰かといて『ラクだ』とさえ思ったことがなかったんだから。

でも、そんな俺の勘違いのせいで、沙奈絵を傷付けることになった。

「眞、あんまり変わらないかな……。あ、でも、やっぱりちょっと雰囲気変わったかな?」

「どっちだよ」

ふっと笑う。

「前より、まとう空気が柔らかいっていうか、人間味に溢れてるって感じ?」

「なんだよ、それ。こんな少しの時間でそんなことがわかるわけ?」

「かっこよくなったってことだよ」

――前もすごく、カッコ良かったけどね。

沙奈絵が、ぼそっとそう付け足した。
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