臆病者で何が悪い!

「――やっと二人きりになれた」

皆の背中を見送りながら、感慨深い気持ちになっていると、背後から低く甘い声がした――。

「生田……」

急に静かになった夜の街で、生田と向き合う。

「俺に、付いて来て」

それだけを言うと、生田は私の手を引いて歩き出した。

「どこに?」

それには答えずに、通りに出てすぐにタクシーを捕まえ、その中に私を押し込んだ。
後部座席に座っている間も、生田はずっと私の手のひらを握りしめたままだった。久しぶりの直に伝わる温もりに、それにずっと焦がれていたのだと実感させられる。会いたくて。触れたくて。この4か月、ずっと生田に会いたかったんだ。

タクシーで10分ほど走り、都心の高層ホテルのエントランスにタクシーが止まる。

「ここ……?」

「ここに部屋を取ってある」

「え……? でも、こっちにいる間うちにいる予定でしょ?」

日本にいる間の一週間ほど、私のマンションに泊まることになっていた。

「今日だけ」

私の疑問に答えると、また足早に歩いていく。
どうしてそんなに急いでいるのだろう。追いつくのに大変なくらい。時間ならたくさんあるはずなのに。

『運』ではあんなにもぺらぺらと喋って、『生田君って喋る人だったんだね』なんて言われていたのに。二人きりになってからは押し黙ったままだ。エレベーターで連れて行かれた場所は、上層階の部屋だった。生田がカードキーで鍵をあけて部屋に入る。ドアから部屋に入ると、すぐ真正面に都心を一望する夜景が目に飛び込んで来た。

「――沙都」

その景色に見入っていると、背後から突然抱きしめられた。絞りだすような掠れた声に、またも胸が騒ぎ始める。

「会いたくて、死にそうだった。一刻も早くおまえに会いたくて。こうやって抱きしめたかった」

「……私も」

生田の匂いと温もりに、それだけで胸が疼く。抱えて来た花束の甘い匂いが部屋中に満ちる。その花束を生田が手に取り、部屋のデスクの上に置くと、私の肩を掴んだ。

「沙都に言いたいことがある。早く言いたくてたまらなかった」

私の肩を優しく掴んだまま、窓際のソファにそっと私を座らせた。

私の足元に跪くようにしている生田を見下ろす。私の手を握りしめて、見上げてくれる。愛しくてたまらない人が、ここにいる。そのことを改めて噛みしめた。

「沙都……」

「うん?」

私を見上げる目は甘く、呼ぶ声は優しくて。生田はいつも、こんな私でも、大事な物のように扱ってくれていた。その全部が久しぶりで、私の胸はどうにかなりそうだ。

「俺は、おまえといると幸せで。おまえといると心から笑える。どうしようもなく、おまえのことが好きだ」

「うん。私も、生田のことが、好き」

私がそう言うと、生田は目を細めてくしゃっとした顔をした。こうして『好き』という言葉をかけると、生田はたったこれだけのことで心の底から幸せそうな顔をする。でもその笑みもすぐに消えて、私の目をじっと見つめ、握りしめているその手のひらに力が入ったのに気付く。

「――結婚しよう」

その言葉だけは、静かな部屋にぽっかりと浮かぶように、別のものに聞こえた。
だからすぐに言葉を返せない。
生田の瞳に私の顔が映る。
< 366 / 412 >

この作品をシェア

pagetop