臆病者で何が悪い!
「それからは、すべてが初めてのことで緊張ばかりしてたな。緊張するのに会いたかった。公務員試験直前だったからいつも会えるってわけじゃなかったけど、時間の許す限り彼に会いたくて。恋人って存在は、私がそれまで知ることの出来なかった世界を教えてくれた」
二人だけの空間、初めてのキス、初めての――。うまれて初めて、自分も女なんだって実感することができた。ただ私を見てくれる。女の子として見てくれる。初めて手に入れたそんな存在を、手放したくなくて必死だった。
「だけど――。それは全部、偽物の世界だったんだってすぐに知ることになったんだ」
八月の終わり。達也は早々に内定を取っていたけれど、私は採用面接が全然上手く行っていなかった。国家公務員試験の一次試験、筆記は合格していたけれど、採用の内定がもらえていなければ結局四月に就職することは出来ない。真夏の暑いさなか、霞ヶ関を日々焦りを増しながら歩き回っていた。それでも、面接はことごとく落ちて。焦りと苦しさに押し潰されそうになって、達也のところに逃げ込んだ。
ほんの少し、癒してくれればまた頑張れる。少し弱音を聞いてもらえれば、また復活できる。抱き締めてくれたら、それだけで満たされる――。
「面接上手くいかなくて、彼のアパートに押し掛けて。その時、彼が電話で話しているのを聞いちゃったんだよね」
弱った私を、彼はそのまま抱いたんだっけ。それで彼のベッドで私は寝てしまった。そして、目が覚めた時、達也の声が耳に届いてしまった。
あれ、達也、誰かと電話してるのかな――。
そう思って身体を起こし、私に背を向けながら電話をしている達也を見つめていた。
『……これから来んの? 今は、まずい。内野が来てるから』
友達だろうか。誰か来るなら、こんな格好じゃまずい。そう思って服を着ようとした時、信じられない言葉が飛び込んで来た。
『でも、30分くらい時間くれれば大丈夫だよ。今から帰らせるから』
え――?
『……大丈夫大丈夫。別に、そういうんじゃないから。ヤることヤッたし、もう用ねーし。ほら、顔はともかく身体
は結構いいじゃん? ヤりたい時にヤれればいいって関係なだけだからさ』
本当に、達也――?
その声が誰か全然知らない人のものに思えて、酷く怖かったのを覚えてる。
『ああいう、一見サバサバしてる風の女って、ちょっと女扱いしてやったら、イチコロだよ』
――ちょっと女扱いしてやったらイチコロだよ。
棘まみれのその言葉が、無防備な私を嫌というほど突き刺した。
えっと……。とりあず、私、どうすればいいかな……。
裸の私は、どこに行けばいい――?
こんな無様な私は、どこに隠れればいい――?
惨めな上に大馬鹿な私は、そのまま寝たふりをした。今聞いたことを、何かの間違いにしたくて、必死になって固く目を閉じた。
「――でも、そんなことしたって、なかったことになんてならないんだよね」
自分の置かれている現実が怖くて、結局、達也に何かを言われる前に逃げるように帰ったんだ。『遅くなったから帰らなきゃ』なんて、演技までして。
その帰り道、心なんて切り刻まれてなくなっちゃうんじゃないかってほどに苦しくて、ただひたすらに歩いていた。
そんな自分をどうにか守るために、いろんな言い訳を自分にして納得させた。
最初から、そんな都合のいい話があるわけなかったんだ。私のこと好きとか、あり得ないし。達也にしてみれば、就職活動中でストレスが溜まっていて、すぐに落ちそうな女が見つかっただけ。それでも、私を”女”として見てくれたじゃない。これまで全然女扱いされてこなかった私を、初めて女として扱ってくれた。
それだけで、十分じゃん――。
「そんな風に無理やり考えたりしてさ。あんな話聞いちゃっても、自分から『別れよう』って言えなかったの。バカでしょう?」
自分で話している声が、他人のもののような感覚になる。誰かの話をしているみたいで、どんどん冷静になって来る。