臆病者で何が悪い!
3. なんで、あなたが?
どんなに惨めさにと悲しさにまみれても、絶対に泣いたりなんかしなかった。一睡もできなかったけれど、涙だけは押し止めて。涙さえ流さなければ、別に大したことじゃないということに出来る気がした。
どうってことない、ほんの少し心がささくれてしまうような出来事。
その程度のこととして、自分の中で整理できる。どんな感情も、認めずに済む。
でも、ひとたび涙を流してしまえば、すべてが崩れ落ちてしまう気がした。
就職してから四年、これまでで一番出勤したくないと思った朝だった。きっと肌もボロボロで、懸命に隠したクマもファンデーション越しに透けて見える。つい俯き加減になって自分の席に着いた。
まだ私の周囲の席の職員は、誰も出勤していないようだった。そのことに、心の底から安堵する。
視界に入る、田崎さんの席からは目を逸らした。ダメだ。ここにいるのも落ち着かない。
勢いよく立ち上がり、席を立つ。トイレにでも行って、もう一度心を落ち着けよう。執務室のドアを開け、廊下に出たところだった。
「おはよう」
生田の声。また、生田だ。生田とばかり出くわしているような気がして嫌になるけれど、生田は同じ課の人間で、そのうえ今は職員が出勤して来る時間帯なのだから、顔を合わせるのは当然なのだ。
俯いたまま口早に「おはよう」と言って、通り過ぎようとしたのに。
「内野」
突然、腕を掴まれている。
「内野、どうした……?」
「どうしたって、何が」
腕を掴まれ、そのまま顔を覗き込まれた。こんな顔見られたくはない。
「なんか、あった……?」
どうして、生田がそんなにも私を気にかけるのか分からない。
「何かって、何? 別に何もないよ。ああ、目の下のクマのこと?」
誰にも気付かれたくない。何も、気に留めてほしくない。だから、懸命に明るい表情を作る。
「これね、昨日ちょっと夜更かししちゃって。本読み始めたら、これが結構面白くて。途中で止まらなくなっちゃって、結局最後まで読んじゃって。気付けば朝、みたいな。社会人失格だよね。そんなわけで、メイク直しして来る」
この口がペラペラと勝手に上手く喋ってくれている。これで、解放してください。そう心の中で懇願する。
「ああ、内野さん、おはよう。昨日は、ありがとう」
まだ私の腕を掴んだままの生田と私。そこに田崎さんが出勤して来た。激しく心臓が動く。身体が固まってしまいそうになったけれど、身体中から力を寄せ集め顔を上げた。
「おはようございます。こちらこそ、ありがとうございました」
生田の手の力が緩んだ隙に、その手から逃れる。田崎さんに目一杯の笑顔を向けて、その場を後にした。生田の視線が何か言いたげにしていたのが分かって、目を逸らした。