HARUKA~恋~
午後3時30分14秒。


私は去年とは大きく違って、河川敷を浴衣姿で男の子と2人並んで歩いている。


隣にいるのは愛しの人。

私の今までの人生の中で1番好きになった人。


私はいつも以上に緊張して、右手と右足が同時に動いていた。


ちらりと視線を上に動かすと、遥奏くんはいつもとなんら変わらず、意外にもひょうひょうとしている。

きっと今までも何人か女の子ときたことがあるのだろう。

ビギナーの私とは明らかに異なる雰囲気に圧倒されて、逆に孤独感を感じた。




しばらくお互い何も言わず、人の波に飲まれながらゆっくりと前へ前へ進んで行った。

家族連れやカップル、学生のグループもいくつか見かける。

時々、慣れない下駄で足の親指と人差し指の間に鈍い痛みを感じた。



そんな中、私の耳にトランペットの音が聞こえてきた。

毎年、地元高校の吹奏楽部や合唱部などがアトラクションを担当することになっているのだが、今年はどの学校がやるのだろう?


私が音の聞こえる方に視線を移すと、1人堂々とスタンドプレイをしている女の子に視線を奪われた。


やはり、いつ見ても彼女は目立つ。


小さな身体からは想像出来ないが、エネルギーが全身にみなぎっているのだ。

そしてそのエネルギーで、会場にいる人を虜にしてしまう。

私もその中の1人だ。


「あれって、宮部さんだよね?」

「うん、そうだよ。すごいよね。瑠衣ちゃん、ホント上手いなぁ…」


うっとりしてついつい見入ってしまっていたが、これから私達は縁日を楽しむんだった。

瑠衣ちゃんには申し訳無いが、遥奏くんとの貴重な2人きりの時間を精一杯楽しませて貰います。

彼女に心の中で2種類のエールを送った。

1つは演奏ガンバレ!!

もう1つは…幼なじみさんと上手くいきますように。


私は彼女を最後に一目見て、遥奏くんの隣りに並んだ。


遥奏くんを見失わないように…

迷子にならないように…


「蒼井さん、何やりたい?」


遥奏くんにそう聞かれて、ちょっぴりらしくないことを言ってみる。


「遥奏くんがやりたいやつ」


私がそう言うと、遥奏くんは私の頭に拳をコツンとぶつけて来た。


「バーカ」






 

…バーカ








何それ。








私、完全ノックアウトだ…





 
鼻血が出るかと心配したが、杞憂に終わった。 

しかし、射抜かれた心は大量出血して、血小板が一生懸命働いて赤血球を絡め取り、傷口を塞ごうとしていた。


「蒼井さん、行くよ!」


遥奏くんに半ば引きずられるようにして私は慣れない下駄をパコパコ鳴らしながら歩いた。

足の皮がすりむけて血が滲んでいるような気がした。


「よし、これやろう!」


小学3年生くらいの男の子が汗をダラダラ流しながら必死に獲物を追っていた。

穴が空いている側を気にしながら、残りの半分を器用に使って、獲物の尾を捕らえた。

しかしあと一歩のところで、獲物とわずかに乗っかった水の重さに耐えきれず、無念にも破れてしまった。


ガックリと肩を落とす男の子は、遠い昔の私の姿と重なって、無性に懐かしかった。

その男の子は、おじさんがお玉ですくった金魚をもらい、帰って行く。
その後ろ姿にやりきれない思いを感じた。


「よし、オレ達の番だ。頑張ろう」

「うん!」


私は何年かぶりにポイを手にした。

昔よりも小さく、軽く感じる。

この小ささで水槽を悠々と泳ぐ、ふてぶてしい出目金を捕まえなければならないのかと改めて考えると、なんだか不条理だなと思った。

捕まえにくくしておいて、ガッチリ儲けようする大人の腹黒さが垣間見えて、ちっとも金魚すくいに集中出来ない。

遥奏くんがポイを水に入れると、私もそれに続いてとりあえず入れたが、根性がひん曲がっている私は金魚に見透かされたのだろう。
すぐに半透明の幕は破れ、水の中でグルグルしながら底に沈んで行った。


「蒼井さん、もうお終い?」

「うん…」

「じゃあ、オレが取るよ。リクエストある?」


私は長年の夢を叶えて欲しくて、勢い余って言ってしまった。


「その黒い大きな出目金と端っこの赤い出目金が欲しいな…」

「えっ!2匹?!随分欲張りだね」

「ごめん。でも、私2匹欲しいの」

「わかった。蒼井さんがそう言うなら頑張ってみるよ」


遥奏くんは甚平の袖を捲り、気合い十分な状態で再びポイと出目金に神経を集中させた。

真剣な表情の彼をばっちりこの目で撮り、脳に搭載されているアルバムに載せた。


「よし!」


遥奏くんが感嘆の声を上げた。

私は彼の手元よりもその眼差しや顔の表情にばかり気を取られ、重要な瞬間を見逃してしまった。


「蒼井さん、出目じゃないけど、とりあえず1匹ゲットした!まだポイ大丈夫みたいだから頑張るね」


私のためにこんなにもひたむきに金魚を追いかけてくれるなんて、本当に遥奏くんは優しいし、純粋だ。
きっと透明度100パーセントだ。

それに引き合え私は、大人の暗さに浸食されてピュアな心を見失って透明度は0パーセントに限りなく近い。







はあ…





と私がため息をついた次の瞬間だった。


私は不幸を呼び寄せてしまった。





「あっ…」

「あっ…」





2人ほぼ同時に声が漏れた。


そして顔を見合わせ笑い出す。



「終わった…」

「うん…」

「なんか、ごめん。約束、守れなかった」

「そんな、気にしないで。あんな無茶なこと頼んだ私が悪かったの。全力でやってくれてありがとう」


おじさんは私と遥奏くん、それぞれに1匹ずつ持たせてくれた。

私は遥奏くんが取ってくれた金魚を愛おしく見つめる。


「蒼井さんって、金魚好きなんだ」

「うん。小さかった時、ムキになって金魚すくいやってたんだ」


そう言って、ハッとした。




私、なんでそんなにムキになっていたんだろう?

なんで、2匹も欲しいんだろう?

もしかして、誰かにあげるの?

―――――誰に?







記憶の蓋は開きそうで開かない。

私は、何か大事なものを忘れてしまったのかもしれない。

過去に投げ捨てて来た記憶の中に答えはきっとある。



でも私は…





「蒼井さん?」

「へ?」

「何ボケッとしてるの?次、行こう」


私はおいて行かれないよう小走りで彼に駆け寄り、右隣をキープした。



私は今、幸せなんだ。

過去のことは置いておこう。




理由付けして、私は振り返らない。


見ているのは今。

見なければならないのも今だ。


そう思ってる。




でもそれが過去と対峙するのを恐れる自分の心を顕著に表しているのは、言をまたないことだ。

    


私は結局、逃げている。

それを私はいつまで隠し通すのだろうか。




答えは無い。
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