先生、ここで待ってる
今思えば、このときに私は間違ってしまったのかもしれない。


食事の約束の日、中村先生は時間より5分はやくマンションまで迎えに来てくれた。可愛いシルエットが人気の外車だった。車で迎えに来てもらうなんて社会人っぽい!大人って感じだー!とにやつきながら助手席に座る。

「私服、初めて見たけど可愛いね。」

さらりと言われてうろたえてしまった。

食事は思ったよりずっと楽しくて時間があっという間に過ぎた。しゃべるのが生きがいのような私に比べて、中村先生という人は聞くのが好きなようで、私の話にクスクス笑ったり、いつもより高めの声で声を出して笑ったり。

帰るのが寂しい、と思ってしまったのは忘れることにした。

会計のときは、財布を出す間もなく、お金を渡そうとする私に「一応先輩だしね」とだけ言って軽くあしらわれてしまった。

助手席でシュンとする私を横目で見てふっと笑って、最初の赤信号で

「いつものお礼なら、この後もう少しだけ時間ちょうだい?」

と言われて少し舞い上がってしまった。

車で20分ほど走って「ここ。」と言われて、車を降りる先生の後ろをついていく。階段を上がって着いたところで

「うあ・・・キレー・・・」

と言って立ち止まった。夜景が見える公園なんてロマンチックな演出をしてもらったのは初めてだ。惚けている私に座ろっかと言って近くのベンチに腰をかける。そわそわしながら、少し距離を開けて隣に座る私を見つめる先生がいつもよりかっこいい気がして、ドキドキがとまらない。おさまれあたしの心臓。

「メールでも言ったんだけど、俺今彼女とうまくいってなくてさ。」

「ど・・・うするんですか」

中村先生の方は見れないまま、でも聞かずにはいられなくて聞いた。

「うん・・・もう少し待ってね」

と言って、膝の上に置いていた私の手に大きくてゴツゴツした手を重ねられた。

・・・ごめんなさい、彼女様ごめんなさい。こんなつもりじゃなかったんです。ごめんなさい、でも、たぶんこの人のこと、たぶん私好きになってしまいました。

体を寄せて膝が触れるくらいの距離でお互い目は合わさずに前を向いたままだった。夜景を見るふりで何を考えていたのか、今となってはもう思い出せない。



そのあとは、二日後にまた食事に誘われ、週に1度は食事やドライブに行くようになった。中村先生は、あの日に手を重ねたようなことはしてこなかったけど、いつも帰りに私が車を降りるとき、「じゃあまたね」と言って私の頭を撫でてくれた。

彼女とどうなっているんですか?という言葉は聞けないまま逢瀬が続く。聞きたいけど聞けない。体の関係がないからと言ってもこんなことがずっと続けられるわけもないし、私が彼女でも許せない。今度あったらちゃんと聞いてはっきりさせよう。と決意をして廊下を歩いていると、さっき授業が終わったクラスの教室から何人かのグループが出てきて、その中の一人が


「美波ちゃーん!最近彼氏できた?!なんか化粧気合い入ってるし、あと、たまににやついてるし!」

「あのね、まずせ・ん・せ・いって呼びなさい。あとあたしは化粧にはいつも気合い入れてるし、にやけてないし。」

男子生徒とのくだらない言い争いも今の私の前ではちっぽけすぎる。と思って軽くあしらっておく。

美波ちゃんつめてーなー、とか何とか言いながら通り過ぎていく。グループの最後にいた竹内という生徒がちらりとこっちを見て

「先生、チョーク入れ、教卓におきっぱだったよ。」

と言って去っていった。いや、持ってきてくれたらよかったのに。ほんと高校生の男子は気が利かない。イケメンでも爽やかでもやっぱり大人の男がいい。うん。なんて思いながら、中村先生にどう話を切り出すべきかに頭は切り替わっていた。

中村先生と食事に行き出して一カ月ほどたっていた、学校行事の打ち上げで職員の飲み会があり、私は隣の席になった体育の先生にビールを飲まされていた。

「美波先生って彼氏いるんでしょ?」

「あ、いや、いません」

「まじで?絶対いると思ってたのに。男子生徒にも結構人気あるしさ。」

「いやいや、そんなことないです」

なんて適当な会話をしながら、やばいなーこのペースで飲んでたら・・・と考えていた。私は炭酸のあるお酒を飲むと酔いが回りやすい体質のようで、ビールなんかはすぐに酔っぱらってしまうのだ。

「ちょっとお手洗いに。」

と言って、席を立ったら、目が回っていた。ふらつきながら用を済ませて、トイレから出てくるとお座敷に戻る廊下の壁に寄りかかっている中村先生と目があった。

「大丈夫?飲まされていたみたいだったけど。出しちゃった?」

「いえ、出しちゃうほどはまだ飲んでないです。」

「でも、顔すごい赤いし、今日帰り送ってく。店の裏の通りで待ってるから。」

と言ってお座敷に戻っていった。飲まされているところも、席を立つところも見られていた。恥ずかしい、でも嬉しい。

飲み会が終わると、みんな適当なあいさつをして帰っていく。さっきの体育教師に二次会に誘われたが丁重にお断りしておいた。

人目につかないように店の裏の通りにでると、中村先生がタクシーを捕まえて待っていてくれた。ふらつきながらタクシーに乗りこみ、肩が触れているのには気づかないふりをした。

部屋に入ると、ベッドにもたれかかるように二人並んで座る。いつもは、風呂は倒れたらいけないから明日入れとかなんとか言って帰っていく中村先生がまだいる。どうしたんだろう。無言で、鞄の中から私を待っている間に買っていてくれたらしいミネラルウォーターを渡された。私が受け取る直前に

「あんまり飲みすぎないでよ、心配だから。」

と言ってペットボトルを私のほっぺたにグリグリ当ててきた。

「ちょっ!冷たっ!わかった!わかりました!以後気をつけます!」

もーと言いながら、にやける顔を隠しながらティッシュをとるために背を向けた。

その時、顔の両側から手が見えて、気が付いたら抱きしめられていた。そのままぐっと後ろに引っ張られ、中村先生の足の間に収まってしまった。左耳にあたる髪がくすぐったい。

どうしよう。何も言わずにいると腕の力が更に強くなった。

「かっ・・・のじょさんが・・・」

とだけ言うのが精一杯だった。

「うん・・・会ってもらえないんだ。でも・・・」

すぐ耳のよこで中村先生の声がする。先生は腕を緩めて私に目を合わせて、

「待てない」

というのが先か、私の顎に手をかけたのが先か、私は目も閉じれないまま唇が触れた。一度離れてもう一度。少し開いた唇の間から舌が入ってきて肩を掴む手にも力が入って、深いキスになった。私は久しぶりのキスで、荒い呼吸になってしまって口が離れたときには力が抜けていた。そのままもう一度強く抱きしめられて、

「かわいい・・・」

と耳元で囁かれ、腰が砕けそうだった。

「でもこれ以上はさすがにまずいよね」

また耳元で囁いて、少し上体を離された。離れるのは寂しい気がしたけど、冷静と情熱と罪悪感の間で私は何とか正気を保ったし、ついでに私の左のお尻あたりに当たっているものには気づかないふりをした。
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