先生、ここで待ってる
一度気づいてしまうと止められなくなる気持ち。こういうのが恋なのか?もしくは情熱や愛ってやつなのか?
ある日体育の授業が終わって教室に戻っていると渡り廊下の向こう側から浅野が何人かの女子と歩いてくるのが見えた。
浅野は就職や専門学校に進学する生徒がほとんどの女子しかいないクラスを担任しているらしい。たまに授業のときに自分のクラスのことも話してくれる。そのことを話す浅野はいつも優しい目をしている気がする。自分のクラスの担任が浅野だったらよかったのに、と最近よく考える。
授業がない日も会いたい。ある日ふとそう思ってしまった自分がいて、自分の気持ちが浅野に向いていることを自覚してしまった。憧れなのかもしれないし、好きなのかもしれない。まだ、よく整理できていないけど。
すれ違うとき浅野はこちらを見ていなかった。今日は授業がない日だから会えただけでもよかったのかな、と考えていると、浅野の声がした。
「あ!竹内」
俺ははじかれるように振り返った。向こうもこちらを見ている。・・・俺を呼んだ。名前を呼ばれるのは初めてだ。そんなことが嬉しい。
「この前集めたノート、返却したいけど今日授業詰まってて行けないから、悪いけど後で職員室に取りに来てくれない?」
大したことない用事だけど、今日また会えるのが嬉しくて、行く行く!って言いたいのを耐えて返事をする。
「はい、じゃあ昼休みに」
やべー、昼休みが楽しみだ。何か話せるかな。
約束通り昼休みに職員室に行くと浅野はいなかった。また来ようと肩を落としていると、隣の席の先生に話しかけられる。
「あ、もしかして2ーDの子?そこのノート持っていくようにって、伝言あったよ。」
俺の肩は更に落ちてしまった。くそう、あのときすぐにでもノートを取りにいけばよかった。
ノート30冊を持とうとしてふと気が付いた。上に水色の紙がのっていて、何か書いてある。
竹内 ごめん会議が入ったから行ってきます、ノート配っといて、よろしく! 浅野
この事務的な手紙が嬉しいとかどうなってんだ俺は。憧れでも恋でもなんでもいい、もっと知りたいよ先生を。
俺は水色の紙を二つに折って、シャツの胸ポケットにしまった。
次の日も古典はなかった。なんで古典は週に三回しかないんだ。と、苦い顔をして考えていると、
「たけ、ジュース買いに行こう」
日野に言われて席をたった。自販機でジュースを買って帰っていると、俺を嬉しくさせる後ろ姿。たくさんのノートを両手で持ち脇に何かを抱えてよろついている。すぐにでも駆けよりたい気持ちが湧き上がってきた。
そのとき、向かいから歩いてきた数学の先生…名前は忘れてしまったが、女子にかなり人気のあるイケメン、が浅野に話しかけた。
「浅野先生、重そうだね、手伝おうか」
くそ、俺がいいたいセリフだそれは。
「大丈夫です、鍛えてるんで」
浅野は俺たちに向けるのとは少し違う子どもっぽい笑顔で断っている。
「その細い腕で言われてもね」
と言いながら、イケメン数学教師が浅野の持つノートに手を伸ばす。ザワザワする。細い腕とかお前が言うな。
「先生!」
気がついたら呼んで駆け寄っていた。
「俺、職員室に用事あるんです、ついでなんで持っていきましょうか」
一息で言い切った。日野が後からついてきて、
「美波ちゃん俺らみたいないい生徒がいてよかったね♪」
と言って手を差し出す。このときほど、日野に感謝したことはない。日野は勘がよくて、空気が読める男だ。だからモテる。
「男2人いたら楽勝だね、よかったね」
と笑って言ってイケメン数学教師は通り過ぎて行った。
「ありがとう、よかったのにこのくらい」
浅野はいつもより小さい声で礼を言った。日野がいつもみたいに軽口を言いながら職員室まで3人で歩いた。
職員室を出て日野と2人で教室に帰るときになって、猛烈に恥ずかしくなってきて、隣の男前をチラリと盗み見る。
「なぁ、たけ。お前って職員室に用事あったんだな」
最高に悪い顔をした日野が肘でつついてくる。…俺はどうしてしまったんだろう。ただあの時、あのイケメン数学教師が先生に触れるのがどうしても嫌だった。
日野からは色々と聞かれることを覚悟して
「うるせー」
と小さな声で返事をした。
教室では大概他のやつらも一緒にいるから、日野は何も聞いてこなかったが、サッカー部の地区大会が終わった月曜日帰りにどこか寄ろうと誘われた。きた、と思ったけど、あの時の借りがある手前断ることはできない。
サッカー部のミーティングが終わるまで待つことになり、俺は図書室に向かった。教室には女子が残っていたのでそこに男の俺が1人でいるのが躊躇われたからだ。
図書室は大きな机が何個かとあとは、個人が座れるようなパーテーションで区切られた机が二列ほど。俺は区切りのある方の机に座って、とりあえず音楽を聴きながら今日の授業の課題をする。
図書室は静かで、課題が終わる頃には何人かいた他の生徒も帰ってしまったようだった。不意に人影が見えたと思ったら、同じクラスの女子だった。彼女は最初驚いて、次に周りを見渡す。
あまり話したことはないので、何も言わずに本でも探そうと立ち上がると、小さい声で「竹内くん」と呼ばれた。
片方だけしていたイヤホンをとって「なに?」と返す。
「竹内くんって今付き合ってる人いる?」
「いや、いない」
「好きな人とかはいる?」
「…いる、ような、いないような」
この会話の流れは何度か経験がある。自分から何かをいう場面じゃないと思って、俯いて顔を赤くしている彼女の言葉の続きを待つ。
「…あの、あたし、竹内くんのこと一年の頃から好きで…よかったら付き合ってください」
「・・・」
「・・・」
しばらくの沈黙の後、「ごめん」とだけ言った。何度か経験しても、これを言うときは慣れない。きっと慣れてもいけない。
「うん、わかった、ごめんね、ありがとう」
彼女もそれだけ言って少し泣きそうな顔でこちらを一度見て、足早に去っていった。
はぁーとため息をついて、図書館の大きい机にどかっと座った。今日、日野にこのことは言っておくべきか…と迷っていると、図書室の貸し出しのカウンターでカタンと音がした。ビクッとしてそちらを見ると、なんと浅野がバツの悪そうな顔で立っていた。
ごめん、と言って先生はカウンターでまた本を読みだした。
「い、いつから…」
全く気が付かなかった。さっきの会話も聞いていたのだろうか。
「最初から」
どの最初だ、俺が図書室にきたとき?それとも彼女に告白されたとき?と動揺していると、
「ごめん、聞く気なかったんだけど、出て行くにも出ていけなくなって」
「先生何してんの?」
「…?本読んでる」
「うん、それはわかる。なんでここで?」
あまりの偶然に頭がついて行ってない。
「あー、今日図書室の施錠の係りで。月に2.3回ある、国語の先生で回してる」
この奇跡的な偶然に、動揺がだんだん嬉しさに変わって行く。2人きりで話すのは初めてだった。
「竹内はなんでここに?図書室で勉強とかするタイプなの」
「あーうん、たまに」
いや、すみません、嘘です、初めてです。でも、月に2.3回こんなチャンスがまたあるかもしれないのだから、たまにきていることにしておこう。
「今日は日野と帰るから待ってるってのもある」
「あんたたち仲いいね」
にっと笑った顔に胸が締め付けられる。
「いいね、高校生だね〜青春だね」
遠い目をして微笑む横顔に見惚れる。
「高校の時付き合ってるやつとかいたの」
聞きたい、聞きたくない、聞きたい。結局聞いてしまった。
「あーうん、一応ね。でも部活が厳しくてあたしも向こうも。メールとか電話とかしかしなかった、っていうつらい青春」
と言って苦笑いする。
「だから、あんたは思いっきり青春しなよ。手を繋いで一緒に帰ったり、学校行事でいちゃついたり。高校生にしかできないこと、たくさんやっときなさい」
急に教師みたいな口調で言われて、とてつもなく悲しくなった。高校生にしかできないこと。俺が高校生同士で付き合うことが前提で、先生のそういう対象に入ってないことが明らかで。
そんな高校生にしかできないことならいらない、そんな青春なら欲しくない。
それなら、今この瞬間が俺の青春だ、と思って、やっぱりまた悲しくなった。
すぐに日野から連絡がきて、もう少しこのままでいたかったけど、先生は俺のことなど忘れたみたいにまた本を読みだしたので、今日は大人しく帰ることにした。
次の当番の日はいつの日か聞こうとして聞けなくて、図書室のドアを開けながら歯がゆい気持ちになった。
ある日体育の授業が終わって教室に戻っていると渡り廊下の向こう側から浅野が何人かの女子と歩いてくるのが見えた。
浅野は就職や専門学校に進学する生徒がほとんどの女子しかいないクラスを担任しているらしい。たまに授業のときに自分のクラスのことも話してくれる。そのことを話す浅野はいつも優しい目をしている気がする。自分のクラスの担任が浅野だったらよかったのに、と最近よく考える。
授業がない日も会いたい。ある日ふとそう思ってしまった自分がいて、自分の気持ちが浅野に向いていることを自覚してしまった。憧れなのかもしれないし、好きなのかもしれない。まだ、よく整理できていないけど。
すれ違うとき浅野はこちらを見ていなかった。今日は授業がない日だから会えただけでもよかったのかな、と考えていると、浅野の声がした。
「あ!竹内」
俺ははじかれるように振り返った。向こうもこちらを見ている。・・・俺を呼んだ。名前を呼ばれるのは初めてだ。そんなことが嬉しい。
「この前集めたノート、返却したいけど今日授業詰まってて行けないから、悪いけど後で職員室に取りに来てくれない?」
大したことない用事だけど、今日また会えるのが嬉しくて、行く行く!って言いたいのを耐えて返事をする。
「はい、じゃあ昼休みに」
やべー、昼休みが楽しみだ。何か話せるかな。
約束通り昼休みに職員室に行くと浅野はいなかった。また来ようと肩を落としていると、隣の席の先生に話しかけられる。
「あ、もしかして2ーDの子?そこのノート持っていくようにって、伝言あったよ。」
俺の肩は更に落ちてしまった。くそう、あのときすぐにでもノートを取りにいけばよかった。
ノート30冊を持とうとしてふと気が付いた。上に水色の紙がのっていて、何か書いてある。
竹内 ごめん会議が入ったから行ってきます、ノート配っといて、よろしく! 浅野
この事務的な手紙が嬉しいとかどうなってんだ俺は。憧れでも恋でもなんでもいい、もっと知りたいよ先生を。
俺は水色の紙を二つに折って、シャツの胸ポケットにしまった。
次の日も古典はなかった。なんで古典は週に三回しかないんだ。と、苦い顔をして考えていると、
「たけ、ジュース買いに行こう」
日野に言われて席をたった。自販機でジュースを買って帰っていると、俺を嬉しくさせる後ろ姿。たくさんのノートを両手で持ち脇に何かを抱えてよろついている。すぐにでも駆けよりたい気持ちが湧き上がってきた。
そのとき、向かいから歩いてきた数学の先生…名前は忘れてしまったが、女子にかなり人気のあるイケメン、が浅野に話しかけた。
「浅野先生、重そうだね、手伝おうか」
くそ、俺がいいたいセリフだそれは。
「大丈夫です、鍛えてるんで」
浅野は俺たちに向けるのとは少し違う子どもっぽい笑顔で断っている。
「その細い腕で言われてもね」
と言いながら、イケメン数学教師が浅野の持つノートに手を伸ばす。ザワザワする。細い腕とかお前が言うな。
「先生!」
気がついたら呼んで駆け寄っていた。
「俺、職員室に用事あるんです、ついでなんで持っていきましょうか」
一息で言い切った。日野が後からついてきて、
「美波ちゃん俺らみたいないい生徒がいてよかったね♪」
と言って手を差し出す。このときほど、日野に感謝したことはない。日野は勘がよくて、空気が読める男だ。だからモテる。
「男2人いたら楽勝だね、よかったね」
と笑って言ってイケメン数学教師は通り過ぎて行った。
「ありがとう、よかったのにこのくらい」
浅野はいつもより小さい声で礼を言った。日野がいつもみたいに軽口を言いながら職員室まで3人で歩いた。
職員室を出て日野と2人で教室に帰るときになって、猛烈に恥ずかしくなってきて、隣の男前をチラリと盗み見る。
「なぁ、たけ。お前って職員室に用事あったんだな」
最高に悪い顔をした日野が肘でつついてくる。…俺はどうしてしまったんだろう。ただあの時、あのイケメン数学教師が先生に触れるのがどうしても嫌だった。
日野からは色々と聞かれることを覚悟して
「うるせー」
と小さな声で返事をした。
教室では大概他のやつらも一緒にいるから、日野は何も聞いてこなかったが、サッカー部の地区大会が終わった月曜日帰りにどこか寄ろうと誘われた。きた、と思ったけど、あの時の借りがある手前断ることはできない。
サッカー部のミーティングが終わるまで待つことになり、俺は図書室に向かった。教室には女子が残っていたのでそこに男の俺が1人でいるのが躊躇われたからだ。
図書室は大きな机が何個かとあとは、個人が座れるようなパーテーションで区切られた机が二列ほど。俺は区切りのある方の机に座って、とりあえず音楽を聴きながら今日の授業の課題をする。
図書室は静かで、課題が終わる頃には何人かいた他の生徒も帰ってしまったようだった。不意に人影が見えたと思ったら、同じクラスの女子だった。彼女は最初驚いて、次に周りを見渡す。
あまり話したことはないので、何も言わずに本でも探そうと立ち上がると、小さい声で「竹内くん」と呼ばれた。
片方だけしていたイヤホンをとって「なに?」と返す。
「竹内くんって今付き合ってる人いる?」
「いや、いない」
「好きな人とかはいる?」
「…いる、ような、いないような」
この会話の流れは何度か経験がある。自分から何かをいう場面じゃないと思って、俯いて顔を赤くしている彼女の言葉の続きを待つ。
「…あの、あたし、竹内くんのこと一年の頃から好きで…よかったら付き合ってください」
「・・・」
「・・・」
しばらくの沈黙の後、「ごめん」とだけ言った。何度か経験しても、これを言うときは慣れない。きっと慣れてもいけない。
「うん、わかった、ごめんね、ありがとう」
彼女もそれだけ言って少し泣きそうな顔でこちらを一度見て、足早に去っていった。
はぁーとため息をついて、図書館の大きい机にどかっと座った。今日、日野にこのことは言っておくべきか…と迷っていると、図書室の貸し出しのカウンターでカタンと音がした。ビクッとしてそちらを見ると、なんと浅野がバツの悪そうな顔で立っていた。
ごめん、と言って先生はカウンターでまた本を読みだした。
「い、いつから…」
全く気が付かなかった。さっきの会話も聞いていたのだろうか。
「最初から」
どの最初だ、俺が図書室にきたとき?それとも彼女に告白されたとき?と動揺していると、
「ごめん、聞く気なかったんだけど、出て行くにも出ていけなくなって」
「先生何してんの?」
「…?本読んでる」
「うん、それはわかる。なんでここで?」
あまりの偶然に頭がついて行ってない。
「あー、今日図書室の施錠の係りで。月に2.3回ある、国語の先生で回してる」
この奇跡的な偶然に、動揺がだんだん嬉しさに変わって行く。2人きりで話すのは初めてだった。
「竹内はなんでここに?図書室で勉強とかするタイプなの」
「あーうん、たまに」
いや、すみません、嘘です、初めてです。でも、月に2.3回こんなチャンスがまたあるかもしれないのだから、たまにきていることにしておこう。
「今日は日野と帰るから待ってるってのもある」
「あんたたち仲いいね」
にっと笑った顔に胸が締め付けられる。
「いいね、高校生だね〜青春だね」
遠い目をして微笑む横顔に見惚れる。
「高校の時付き合ってるやつとかいたの」
聞きたい、聞きたくない、聞きたい。結局聞いてしまった。
「あーうん、一応ね。でも部活が厳しくてあたしも向こうも。メールとか電話とかしかしなかった、っていうつらい青春」
と言って苦笑いする。
「だから、あんたは思いっきり青春しなよ。手を繋いで一緒に帰ったり、学校行事でいちゃついたり。高校生にしかできないこと、たくさんやっときなさい」
急に教師みたいな口調で言われて、とてつもなく悲しくなった。高校生にしかできないこと。俺が高校生同士で付き合うことが前提で、先生のそういう対象に入ってないことが明らかで。
そんな高校生にしかできないことならいらない、そんな青春なら欲しくない。
それなら、今この瞬間が俺の青春だ、と思って、やっぱりまた悲しくなった。
すぐに日野から連絡がきて、もう少しこのままでいたかったけど、先生は俺のことなど忘れたみたいにまた本を読みだしたので、今日は大人しく帰ることにした。
次の当番の日はいつの日か聞こうとして聞けなくて、図書室のドアを開けながら歯がゆい気持ちになった。