君の未来に、僕はいない
私の話題になり、私はなんとなく身を潜めて、どんな会話をしているのか耳を傾けた。
父が画家を目指していたなんてこと、その時私は初めて知った。
クレヨンから始めて、粘土も積極的に遊ばせて、そうやってクリエイティブな才能をどんどん伸ばしてあげられたら。そんな会話をしていたと思う。
私にとってクレヨンで遊ぶことも粘土で遊ぶことも、当時はただの遊びだったし、どんな期待が込められているかなんて知る由もなかった。

そうだ、葵の母のあの言葉を聞くまでは。
「でも特別上手いってわけじゃないわよね。才能ないんじゃない?」
才能? 私は粘土もクレヨンも好きだけど、それには才能が必要なの? 父も母もそれを期待していた?
「葵君は、ピアノの才能をもっているものね」
「あの子は特別な子よ。そういう風に育てるわ」
葵は持っていて、私にはない。
葵は特別で、私は特別じゃない。
その時感じたあの重たく醜い感情を、劣等感と人は呼ぶのだと知ったのは、随分経ってからだった。
私も特別な子になりたい。母が自慢できるような子になりたい。そう思って、無我夢中で絵を描いたが、誰も私を天才とは呼んでくれなかった。
葵を見るたびに劣等感を抱き、嫉妬し、葵のように注目を浴びたいとなん度も思った。私はすでに楽しんで絵を描いていなかった。

そんな時だった。両親が飛行機事故で亡くなったと、電話がかかってきたのは。
結婚記念日に旅行に行った両親は、私をばあちゃんに預けており、私はそのこと寂しいとも思わずに黙々と絵を描いていた。
電話を持ったままその場に泣き崩れるばあちゃんを見て、すぐに駆け寄ったのは覚えている。
ばあちゃんは私を強く強く抱きしめて、『ばあちゃんがいる。ばあちゃんがいるけんね』と泣きながら言うばかりで、何が起きたのかすぐに教えてくれなかった。
当時私は七歳で、人が死ぬということを、すぐに理解できるわけもなかった。
テレビで流れる飛行機事故のニュース、家に駆け付けた親戚、鳴りやまない電話……それらすべてを呆然と見つめる私に、大人たちは口々にこう言った。

『大丈夫よ、大丈夫やけんね』。

一体何が大丈夫だと言うのか。
私はもう、父と母に会えないんだろうか。
黒い煙をあげるくしゃくしゃになった飛行機を画面越しにただただ見つめて、あの中に両親がいるのかと思うと、じわりと涙が浮かんできた。
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