君の未来に、僕はいない
幼いころから葵のことを知っていたのに、何もわかっていなかった。こんなに苦しんで、こんなに悩んでいたなんて。
葵の願いはたったひとつだったんだ。
もう一度、あの昼休みの時みたいに楽しくピアノを弾きたい。
それだけだったのだ。
それなのに私は、葵に対して下らない嫉妬をして、悪気はなくてもプレッシャーをかけたり、才能が欲しいと願ったり。
挙句の果てには自分の絵を愛せないと言ったり。
私には、絵を描く為に必要な目も腕も指もあるというのに。

大切なのは、才能とかそんなつまらないものじゃない。
自分が好きだったり楽しいって思うことを、素直に信じて自ら発信する勇気だったのかな。
私達は、もしかしたら折角見つけた好きなことを、義務のように自分に課してしまったせいで、潰してしまったのかもしれない。

「……萌音、泣かないで」
葵の白い手が私の頬を包み込み、ひんやりとした冷たさが伝わってきた。
それから、葵は私の額に額をつけて、ゆっくりと何かを願うように目を閉じた。
今、葵の脳にはどんな未来が映り込んでいるのだろう。
できれば、明るい未来であってほしい。そう願ったけれど、その願いは葵のひと言で脆くも崩れ去った。

『……悲しいけれど、ちゃんと聞いてほしい』。
私の頬から手を放して、葵は手話で忠告した。
それから、長い睫毛を伏せて、震えた声と手話で伝えたのだ。
私達の未来を。

「萌音の未来に、俺はいないよ」



一週間後に、葵が私の前からいなくなる。
本当に予知できたから伝えたのか、それとも私から離れたくて嘘をついたのか。
私はあの後、どんな風に家に帰ったのかよく覚えていない。
でも、気付いたら刻々と試験も迫っていた。
一週間後はちょうど、センター試験の日だった。駅から電車で四十分ほどのところにある大学が会場になっている。
藝大ではセンター試験の点数も加味されるので、手を抜くことはできない。
実技がもちろん大事なのだが、実技が同じくらいの点数だったとき、テストの点数で最終的な判断をくだされるのだ。
そんなセンター試験当日に、私と葵の間に一体何が起きるというのだ。
問い詰めて聞いたけれど、葵はそれ以上何も答えてはくれなかった。

そうして今、センター試験の前日となった。
普通の受験生よりはセンター試験への重要度は低いものの、やはり緊張する。
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