飛蝗者
分らないけれど貸してもらったと私が答えると、父は誰に?と聞いてきた。
年頃でありながらも少し遅かった私は、鈍いまま素直に彼氏の名前を口にした。

この日、私は初めて男から顔が腫れるまで殴られた。そしてこの時に初めて、父が私に向けていた優しさの意味を理解(曲解?)したのだ。
あの出来事から私はヒルクライムを、それだけでなく音楽自体をしばらく聴けずにいた。

額が割れて流れた血が視界を覆って、赤以外何も見えない中で鈍く感じた下腹部の痛みと太ももの冷たさ。
怖い、痛い、と喚く中、『大丈夫』がリビングには流れ続けていた。
いやいや大丈夫じゃないよさすがに。この状況じゃ何度言われたって少しもさ。

それまで遅い子だった私は、自分が芯から冷えていくことに気が付いて、そうして子どもでも大人でもない「芸術家」となった。

まるでゾンビパニックだ。芸術家は、その才能は、伝染する。
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