愛されたいのはお互い様で…。
紫は産科の帰り、歩道で事故に遭った。転倒して頭を強打したらしい。脳震盪による記憶喪失になってしまった。これは一過性のモノらしい。
もの凄い勢いで走って来たマウンテンバイクが、歩道の端でメールをしていた紫に衝突したらしい。平日の昼時だ。目撃者は沢山居た。
こんな事って…あるのかって思った。見えてるから、退くものだと思った、なんて言ったらしい…。勝手な言い草だ。
悪いのは自転車だ。歩道は歩行者の物だ。自転車は歩道を通る時は歩行者の妨げになってはいけない。まして勢いよくスピードを出して乗ってはいけない。
倒れて意識のない紫は病院に運ばれた。
紫の携帯から伊住さんに連絡が行った。事故直前にメールを送っていた相手だから。
…しかもそのメールは、妊娠してました、という物だった。
紫のお腹の中で育っていた命は消えてしまった。自転車がお腹に強く当たった事…、激しく転倒した事…。
まだ芽生えたばかりの命…。出血は少なくて身体に大きな負担になるモノではなかった。
搬送先の病院で伊住さんは聞かされた…。
目を覚ました紫は伊住さんの事が解らなかった。
どうやら俺に疑心を抱いていた辺りからの記憶がとんでいるみたいだった。
だから紫の中で、伊住さんは知らない人。まだ出会う前の人という事になってしまった。
だから、紫は妊娠していた事を知らない。当然流産してしまった事も。
…伝えてもいないからだ。知っているのは産科と伊住さんだけだという事だ。
強打した頭は脳波とかに異状はなく、後遺症が出そうな損傷も無いらしかった。それは良かった…安心した。
一過性というのだから、記憶喪失もずっとって訳じゃない。ただ、取り戻すのがいつなのかが解らないだけだ。