愛されたいのはお互い様で…。
掴んだままの携帯を眺めたけど…止めよう。バッグに押し込んだ。
会社を出て直ぐ足首の上まで濡れていたストッキングは、もう膝の辺りまでびっしょり濡れて張り付き、とても不快だった。それだけじゃない、肩も背中も濡れていた。
前が明るくなった。店を通り過ぎ、裏通りを過ぎ、傘を深く差し黙々と歩き続けていたら、表通りまで出て来ていた。…あぁ、もう…、帰り道がワンブロック分遠くなってしまった…。
別に帰りを急いでいる訳ではない。足も濡れて…、帰る事も、もう何時になろうとどうでもよくなっていた。
落ちかけていたバッグの持ち手を肩まで掛け直し傘を持ち直した。
あれを見て、声を掛けに店に入る事もせず、放っておける状態にいる事は、私達は、…ううん、私は、どういう心境だというのだろう。疑心が確信になった…終わってもいい…半ば諦めの境地なのだろうか…。そうではない。
好きだけど干渉しないと言えば、格好良く聞こえるのだろうか。
いつかこんな事はあるかも知れない。ある程度、想定していた事を、ただ目の当たりにしただけって事かな…。
今夜、私ではない女性と店に居た男、葉月務との出会いは、偶然居合わせたバーからだった。
それは、ちょっとしたハプニングからだった。
バーでかなり酔っていた私は、人の物とも思いもせず、手に触れたグラスを掴み、一気に空けてしまったのだ。
その日はいつもの飲み方と違っていたし、そのグラスの酒は強い物だったのだろう、酔い潰れてしまった。
気がついた時は、務の部屋だった。そう…、間違って飲んでしまったグラスの人の部屋だった。
意識のしっかりしない私を連れて帰っていたのだ。
一眠りして目が覚めた私は、ベッドの中に居て、服は着ていなかったが、辛うじて下着は身につけていた。…特に身体に異状もない。身体を起こして見てみると、男は上着を脱ぎ、ネクタイを外した状態で、腕を顔に乗せ、ソファーに横になっていた。
あー、あのネクタイ、何となくだけど見覚えがある…。確か隣に居た人がしていたと思う。
はぁ…なんて事。その人の部屋って事だ。一体どんな経緯でここに来る事になったのか…。バーからの記憶がない。思い出せない。
どこの誰だか解らない人に迷惑をかけてしまったのは確かだろう…と思った。
目が覚めたからには、このまま居る訳にはいかない。
ベッドから抜け出し、抜け殻を軽く整え、男の寝姿に目を向けながらそろりそろりと歩いた。壁に掛けられていた洋服を取った。ふぅ…。
目を覚ましやしないかと、警戒しながら急いで着た。
…帰るにしても、このまま黙って何もお礼を言わないのも礼儀に外れる。
ドキドキしながら手帳を取り出し、想像で迷惑を掛けた事を詫びる言葉を書き、切り取った。そして、私の飲んでいたアルコールの代金と、横取りしてしまったお酒の分を合わせた大体のお金、それを一緒にテーブルに置き、そっと足を忍ばせ玄関に向かった。
このまま出たら鍵は開けたままになってしまうけど仕方ない。