彼女の居場所 ~there is no sign 影も形もない~
「おい、母さん。康史さんの一目惚れってなんだよ」
「え?知らなかったの?」

私と高橋は二人でコクコクと首を縦に振った。

「あら、やだ。余分なことを言っちゃったわ。でも、もう手遅れよね」
社長夫人はけらけらと笑った。

「私が熱中症で倒れた時よ。早希さんに助けてもらってたところに偶然康ちゃんが通りがかって。その時も早希さんは康ちゃんのことを私と待ち合わせをしている夫だと勘違いしたみたいだけど」

「あ!」
そうだ、女性の名前を呼びながら背の高い男性が駆け寄ってきたから、顔も見ないで、てっきりご主人だと。
あれは康史さんだったんだ。

「で、谷口は自分の会社の副社長だと気が付かなかったって話につながるのか」
高橋は目を細めて私を呆れたように見た。

あ、えーっと、そう言われちゃうと、まあそうなんだけど。
だって、副社長と出会ったことがなかったんだもん。

康史さんはあの時に私のことを見てくれて、しかも好意を持ってくれたんだと思うととてもうれしい。
私はBarで初めて出会ったと思っていた。
康史さんも何も言ってくれなかったから。

「谷口、お前さっきまでぶすったれてたくせに今度はニタニタして気持ち悪い」

高橋がそんなひどいことを言い出すから私は反論しようと口を開いた。

「しつれいな・・・」
「良樹、俺の大切な恋人に失礼なこと言うな」
私が全部言う前にいきなり私の頭の上から大好きな声がした。

「康史さん」
「康史さん」
「康ちゃん」

私と高橋と社長夫人は振り返り、同時に声をあげる。

康史さんはあのいつもの凛々しくステキなスーツ姿で私の驚いた顔を見て笑っている。
「ただいま、早希」 

「康史さん、こちらに戻ってくるのは明日かと思ってました」
会えるのは明日だと思っていたからうれしくて頬が緩んでしまう。

「うん、急いで仕事を片付けて戻ってきた。早希、さあ帰ろう。ああ、麻由子さん、こんばんは。ついでに良樹も」
康史さんは私の肩を抱いて引き寄せ、社長夫人と高橋をちらっと見た。
康史さんの社長夫人への態度に「康ちゃん冷たい」と社長夫人が文句を言い、高橋は「俺なんて『ついで』だぜ」と呟いた。

「さあ、行くよ。じゃあ、麻由子さんまた」
私の肩を押すようにして出口に向かおうとする。

「え?康史さんオフィスに行かなくていいんですか?」
「ああいい。早希を迎えに来ただけだから」

そ、そうなの?
私はうれしさと恥ずかしさで顔が熱くなる。





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