彼女の居場所 ~there is no sign 影も形もない~

稔と里美のことを私の身体全てから追い出してしまいたい。またお酒でも飲もうか。

そう考えていると、心にフッと温かい風が流れ込んでくるような気がした。
そういえば、昨夜のあの人と飲んだお酒は美味しかった。
それまでに飲んだカクテルは味がしなかったのに、お礼と称して二人で飲んだ最後の1杯はしっかりと深い味がした。

目が合って微笑みかけられて胸が大きく弾んだ。
恐ろしい程整った顔立ちをしていたから。

でも、実はそれから恥ずかしくてよく顔を見ていない。

私の記憶にあるのは、あの人の唇、黒い瞳、広くてたくましい胸、男らしくがっしりとした腕、短くてサラサラした黒い髪。
全てパーツ。ベッドの中では目を閉じていたから、ほとんど視線を合わすことは無かった。

あの人との一夜のおかげで、今、私は悲しみに暮れることなく稔の物を整理することができている。

昨夜の出来事がなければ今ごろどうしていただろう。一晩中泣いていたか、絶望に震えていたか。
あの人との夢のような夜を思い出すと、恥ずかしいけど身体の芯がきゅっと締め付けられるような甘酸っぱい気持ちになる。

あの人は本当に優しかった。
行きずりの相手なのに私に触れる手も唇もまるで壊れ物を扱うようにやさしく丁寧だった。

今後こんなことは私には二度と起こらないだろう。一生忘れない甘い記憶だ。
昨夜私を一人にしないでいてくれたことに感謝している。

もう二度と会うことはないだろうし。
いや、会ったら恥ずかしくてどんな顔をしていいのかわからないから困るけど。



この広い都会の空の下、私を救ってくれたあの人が幸せでありますように。
私は心から昨夜の彼に感謝した。

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