彼女の居場所 ~there is no sign 影も形もない~

信楽焼部長、いや神田部長から明後日のプレゼンの原稿校正と資料の確認を頼まれていて、残業になってしまった。

副社長にメールで伝えると
『俺も残業だから気にしないで。早希の仕事が終わってからでいい』
と返信がきたから安心して残業に励むことにした。
遅い時間の方が副社長室への出入りの時に誰とも遭遇せずに済むはず。

神田部長から渡された資料を確認していると違和感がある。
何かが違う気がする。
何だろう。
ページをめくっている手が止まる。
これ、途中から使用している資料の年度が違うんじゃないだろうか。

表題から数ページ使用されているのは昨年度実績の数字。
その後からは何故だか数字が違う。別の年のものとすり変わっているようだ。
なぜこんな事になっているのか、作成したのはどのグループなのか。
でも、今残業しているのは高橋のグループのメンバーしかいない。彼らは違うプロジェクトのはず。

はぁっと大きく深呼吸した。
メンバーを探して説明して明日やり直す指示を出すより今私が直してしまった方がずっと早い。

冷房対策のカーディガンを脱ぎ、髪を後ろでひとまとめにして留める。目薬をさして、メガネをかけて私は戦闘モードに入った。

席を立ち、資料室から何冊かファイルを運び込み必要な部分を探す。ざっと目を通していて、はっとする。
見つけた。
基にしたファイルの中身が間違っている。
誰かが故意にではないと思うけど、年度を間違ってファイリングしたのだ。
これだから、アナログ式の保存方法は困る。
でも、今は文句より資料作成が先。

一心不乱にキーボードと戦っていると、デスクにコーヒーが置かれた。
振り向くと高橋だった。

「何かあった?」

私の戦闘モードにただならぬ気配を感じたらしい。

「神田部長からの校正依頼受けたら、すごいミス見つけちゃった」

私はありがたくコーヒーを手に取った。
「ありがと、頂くね」

そうだ。
「ねぇ、高橋。お腹空いた。何か持ってない?」

「そう言うと思ったよ。さっきマカロン貰ったから食うか?」
高橋はポケットを探っている。

「わーい糖分だ。ん?あれ?ね、マカロンって誰から?」
一瞬喜んだけど、ちょっと疑問を感じて聞いてみた。

「人事の新人の女の子」

あれ、これはもしかして。
「『高橋さん、これ食べて下さいっ』ってやつ?」
高橋の顔を見ると表情を変えず「当たり」と言った。

「じゃ、私が食べちゃダメなヤツじゃん」

高橋から視線を外してしっしっと手を振って追い払う仕草をした。
手作りかそうじゃないかは知らないけど、他人の気持ちが入ったものを私が食べるわけにはいかない。

「それって、あんたのことを好きな女の子が『これ食べて残業頑張ってくださいね』的なやつでしょ」

「お前、そういうとこカタいよな。貰った本人があげるって言ってんだから、問題ないだろ。しかも俺がこんなべっとり甘いモン食えるか。おにぎりとかならまだしも」
高橋は呆れたように言う。

「そういう高橋の考え方に賛同できない。ほら、他に食べ物持ってないんならあっちに行って。残業の邪魔」
しっしっと追い払った。

「お前の俺に対する扱い、ヒドくないか?」

「フツーよ、普通」

私と高橋の距離感なんてこんなものでしょ。
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