彼女の居場所 ~there is no sign 影も形もない~
翌朝、私は由衣子の部屋からかなり早く出勤してすぐに神田部長のデスクに向かった。
すでに神田部長はパソコンに向かっていた。ホントに一体、毎朝何時に出勤しているんだろう。

「部長、おはようございます。今回はいきなりの有給休暇でしたけどありがとうございました。助かりました」

「お、早希さんおはよう。今朝はずいぶん早いね」
部長は驚いている口調だけど、表情はにこやかで全く驚いてはいない様子で心の中は読めない。さすがタヌキ。

「実は部長にご相談が」

私の真剣な様子におやっ?という表情になり、まだ他には誰も出勤してしないけれど、普段使われていない奥のタヌキの巣穴、いや、部長室に移動するよう促された。

私は部長に今の実家の様子を率直に話し、ここを退職して地元企業へ転職を考えていると伝えた。

これにはさすがの部長も驚いたらしい。

「えー、早希さんに辞められると僕が困るんだけどー」
と薄いアタマをポリポリとかいた。

「早希さん、ご実家はどこなの?」
「S市です」
「ああ、S市ね。そうか、じゃあさすがにちょっと新幹線通勤も無理かぁ」
「は?無理ですよっ」
新幹線通勤を考えたのかっ。こわっ。

「S市じゃないんだけど、その隣のM市にうちの支社があるから、そこに異動するってのはどう?」

「え?」

「退職じゃないから、ご実家が落ち着いたらまたこっちに戻って来られるんじゃないかな。それとも戻ってきたくない?」

部長はニコニコしてM市の支社の名をあげた。
もちろんそこにうちの支社があるのは知ってるけど、そこは支社というよりも研究所という意味合いが強い所で本社の営業事務の私が行くような場所じゃない。

「S市にも関連会社があるんだけど、そこはねー、ちょっと、いや、どうしても早希さんが行きたいなら紹介するけど、そこだとこっちを退職になっちゃうし。あ、出向にできるかもしれないけど、やっぱりそこはねぇー、うーん」

タヌキはごにょごにょとわけのわからない事を呟いている。

「部長、M市の支社は異動可能でしょうか?」
「ん、異動はできるよ。僕は嫌だけど」
タヌキは渋い顔をした。

退職して転職先を探すよりも異動ができるのならありがたい。できれば市内がよかったけれど、隣の市なら通勤もさほど大変ではないだろう。

「部長、異動の希望を出しますのでお願いします。無理にとは言いませんが向こうで就活をしなくて済むのならありがたいです」
私は頭を下げた。
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