彼女の居場所 ~there is no sign 影も形もない~
由衣子との会話は嬉しかったけど、副社長の近況を知り心が揺れた。
離れて何ヶ月が経っても私の気持ちは副社長に留まったまま止まっている。
私は由衣子以外に神田部長と定期的に連絡を取っていた。
神田部長には何から何までお世話になってしまった。
あの日、副社長室から逃げ出しタヌキの巣穴に隠れて泣いていた子ダヌキの私を救ってくれたのは、親ダヌキである神田部長だった。
私は副社長の知らない所に逃げたいと泣きついた。
部長は少し考えると、私に退職願を書くように言い、その他一切の手続きもしてくれた。
アパートの引っ越しの手配も何もかもだ。新しい職場まで紹介してくれて、私は身体1つで実家に帰ればいいという状態だった。
部長からの条件はただ1つ。
神田部長と連絡を断たないこと。
定期連絡をするという意味ではない。部長に黙って消えない、勝手にいなくならないようにということ。
さすがに私もそこまで世話になっておきながら、勝手にいなくなるような人でなしではない。
部長とは頻繁にメールのやりとりをしている。
内容はたいしたものではない。
甥の首がすわったとか、姪とお祭りに行ったとか。
部長から来るメールも意味のないようなものばかり。
今日の社食のBランチは鯖の味噌煮だったとか、私の後輩の真美ちゃんが髪を切ったとか本当にどうでもいい話だ。
でも、そのメールを楽しみにしている私がいる。
メールはだいたい昼休みに届く。
会社でスマホをタップして部長からのメールを読んで笑う。癒されるひと時になっている。
窓を開けて夜空を見上げた。
東京よりは星がよく見えるけれど、あのホテルのようには見えない。
あの時は副社長がすぐ隣にいた。
今はもう遠い存在で、あれは夢だったのかなと思う。
でも、あれが夢ではなかった証拠がある。クローゼットの中の段ボール箱。ホテルから送られてきたままの状態で引っ越し荷物として実家に届けられたからだ。
ため息をついてまた星空を見上げた。
ここにはたくさんの星空も東京タワーの見える夜景もない。
結局、東京タワーのある夜景も、星が落ちてきそうな星空も私には手の届かない夢物語だった。
私はこれから先の人生で誰かと寄り添って暮らしていくことができるのだろうか。
誰かの大事なたった一人の相手になることができるだろうか。
姪と甥の成長だけを楽しみに生きていく人生になるのかも。