クールな外科医のイジワルな溺愛
「……あ……あの、花穂ちゃん……?」
近くから自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。びっくりして辺りを見回すと、会社の看板の影から、ぬっと一人の女の人が姿を現した。
「誰?」
司が先に問う。暗闇だから、顔が見づらい。肩までの細い髪がふわふわと頼りなげに揺れ、着ているものは首元のたるんだ古そうなTシャツで、下半身は楽そうなスウェット。150cあるかないかの背丈は、猫背のせいでもっと小さく見えた。
「花穂ちゃん、花穂ちゃんでしょう?」
女性が猫なで声で近づいてくる。街灯の下に入り込んだその顔を見た途端、私の背中を電流が走り抜けたような感覚がした。
まぶたが垂れて眼球に被さってきているけど、間違いない。この人は……。
「それ以上近づかないで」
そう言うと、女性はぴたりと足を止めた。私は司の後ろに隠れる。
「え、おい。この人誰。知ってる人?」
司の戸惑った声に、女性が私の代わりに答える。
「お母さんよ、覚えているでしょう? 花穂ちゃん」
その猫なで声に、耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
「お母さん?」
司が確認するように呟く。その耳障りな単語をこれ以上聞きたくはなかった。
「私に母はいません。母は、私が子供の頃に他に彼氏を作って出ていきました」
あれは、私が小学校高学年のときだった。もう事情がわかる年頃だから、とお父さんが教えてくれたことだ。