a bedside short story
10th.Aug. グレープフルーツ
半分に切られたグレープフルーツ。
いまや一年中手に入るけれど、やっぱりシトラスは、夏の感じがする。


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朝、ベッドを抜けてカーテンを開ける。
と、目をこじ開けるくらいの眩しい夏の空が広がった。
今日は外回りだ。

少しくらい曇っててもいいのに。

溜め息をつきかけて、おっと、と飲み込む。
先週頭から出張している部長が、今日の夕方に帰ってくる。

久しぶりに会える。

それを励みにがんばろう。
私は大きく伸びをした。



ランチ後、化粧直しと同時に香水を足そうとした時、ふと思い出してカバンを探る。
この間、コスメカウンターでもらった香りのサンプルだ。

『星座別☆この夏にオススメの恋香水』

と書かれた台紙に、小さなプラスチックカプセルが付いている。折るようにして開け、胸元に垂らす。

別に恋の始まりを期待しているわけではない。

というのは、言い訳かもしれない。

口元には、自嘲の笑みを浮かべてしまう。
頭の中には、『あの人』を浮かべてしまう。

ホントのホントは、始まって欲しいんだ。
春の恋よりもオトナの、夏の恋が―――
なんてね。


本来、女性は上半身に香水をまとってはいけないらしいけれど、今はちょっとルールを破りたい気分だった。

ふんわりと香る、グレープフルーツとミントとグリーンの匂い。
いつもフローラルよりのものを使っているから、何となく気分がシャキッとする。
ついでに髪も上げめにまとめて、最後の半滴をうなじにつけてみた。
香水とは銘打ってあるけれど、分類上はオーデコロンだから、匂いは強くない。

いい気分転換になった。

鏡の中で一度笑顔を確認して、私は会社に戻った。



予定通りの時刻に出張から帰って来た部長は、報告書をまとめるのに忙しそうだった。
その横顔を目の端で見つめながら、ほころびそうになる口許を必死に抑える。

私が入社した時、教育係をしてくれた紳士。それが今の部長。
当時はまだ肩書きもなく、中間の立場で大変だったとあとで聞いた。
もともと、「人を育てるとか人と関わるとかから、逃げていた人生だったから」と、対人緊張に胃薬で対処しながらも、最後まで面倒を見てくれた人。

そして私の、好きな人。

見目麗しい……わけではないけれど、本当に良い人で。
勤続年数が10を越えた今でも、気にして声を掛けてくれる。
ひいきが判る程度に。
まあ、基本的にみんなに優しいけれど。
だから『部長』という役職がついても、今もまさに部下に囲まれている。

――帰ってくるなり、お土産話を部下からせがまれる上席者ってどんなよ。

……こんなよ。

思わず心の中で自問自答してしまう。



「出張中、ありがとな」

報告書の目処が立ったのか、律儀に一人一人にお土産のお菓子を配っていた部長が、私の席にも回ってくる。

「ごちそうさまです」

笑って頭を下げた私に、部長がちょっと戸惑った顔で一瞬止まった。

「どうかされましたか?」
「あ、いや。何でもない」

少し顔が赤く見えたのは、気のせいだったのか。


就業まであと90分。
それから30分後、部長の顔は本当に赤くなっていたのだと知る。

「かじりつきたくなる匂いだった」

我慢できなくなった、すまない。
会議室に呼び出されて抱きしめられた。


私の、
夏の恋が始まるようだ。


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残り、あと21枚。


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