ご令嬢は天才外科医から全力で逃げたい。
タクシーから降りて、肌寒い悪寒しか感じなかった私は踵を返そうと向き直る。

哀愁を浮かべていた慧は、今やすっかりご機嫌な顔で背を向けた私にガッシリと腕を回す。

「やっぱり今夜は理央のとこに・・。」

肩を思いきり掴まれると、笑顔の慧に捕獲された私は青ざめた表情でエレベーターの中へと消えて行ったのだった。

一面の夜景が広がる暗がりの中。

裸の体で何度も重なり合う2人の下にあるシルクのシーツは激しく波打っていた。

月明りに照らされ、その皺さえも官能的で美しいシルバーグレーの色味を帯びて輝く。

慧は美桜の唇を激しく啄んだ。

切れ長の目は切なそうに揺れ、頬を両手で包まれた私の胸が痛いくらいドキドキする。

何度も涙目で顔をそらしても、見下ろされる瞳の熱さからは逃げられない。

「こっちが死んじゃうよ・・慧っ。」

「さよなら」なんて言葉は、もう二度と言わないと心に誓った私だった。

頬に手を当てた慧は切なそうに微笑んだ。

「2年間は結婚も子供もお預けなんて拷問そのものなんですが・・・。君はそう思わない?」

不思議そうに見上げる私の顔に、慧は笑う。

「何でそんなに結婚したいの?私には・・正直、分からない。結婚に憧れなんて持った事もないもの。」

私の頬に口づけを落として優しく横たえた慧は悲しそうな表情を浮かべて頭を撫でた。

「君の家の結婚は悲惨だったな・・。俺は君と家族になりたい。」

「慧?」

「一緒に暮らして、死ぬときは君の死を看取るのは僕でありたい。
年を重ねて、老いていく君を見るのも・・。
一緒に老後を過ごすのも君がいい。」

親にもあまり頭を撫でられた事がない私は、震えるような嬉しさに瞳を揺らした。

抱きしめられた腕をぎゅうっと握って、強請るように見上げた。

「そうなんだ・・。愛されるってこんな感じなの?なんだか、くすぐったくて怖くて、泣きそう・・。」

薄っすら涙目になった私の目に口づけを落とした慧は、恥ずかしそうに視線を反らした。

「まだ怖いの?観念しなよ・・。結婚するなら君しかいない。美桜もそう思ってくれる?」

切なそうに見下ろされた私は、静かに頷いた。

「ハルと慧だけよ・・。私が好きになった人は。それで充分じゃない?」
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