ご令嬢は天才外科医から全力で逃げたい。
僕は幼い頃から英才教育を受けて、勉強も運動も常に藤堂海と1番か2番を競っていた。
容姿だって、母の美しさを受け継いで大きな茶色の瞳と、色素の薄い栗色の髪を持っていた。
山科の御曹司。
雲の上の存在として、女子にも王子様扱いで騒がれていた。
明るく、少し一線を人とは引いていた僕は人気者の部類だった。
しかしその実、人生を達観して見るような所があった。
山科を継ぐためだけの自分の存在に疑問を感じ始めていたのだった。
中学に入って、隣のクラスの奴が気になるようになった。
存在感を消したような長い前髪で瞳を隠した男。
僕よりも10㎝は身長が低くて、細い身体の晴海 啓・・。
彼をライバルとして意識したのは、同じ中学の初めての中間テストだった。
先生に聞くと、全教科満点は僕と彼だけだった。
それからわざと満点を取ることを避けているかのように僕が勝ち続けた。
だけど、決定的な事が起こる。
「なんだ・・これ。あの問題で500点満点なんてあり得ない!!」
”晴海 啓”の名を見つけて興奮した。
夏休みに塾で受けた全国模試の結果、彼はあっさりと全国1位の成績を取っていた。
僕だって50位圏内がやっとのテストだった。
孤高の天才、そしてわざと爪を隠した彼を意識せざる得なかった。
僕がどれだけ必死に勉強しても叶わなかった。
放課後、彼も必死に勉強でもしているのかと思い彼の様子を観察するようになった。
ある日、職員室に寄って鍵をもらった彼は珍しく微笑みを浮かべて足早に音楽室へと急ぐ。
「なんだ?何故、こんな所に・・。」
音楽室に入ったハルを訝し気に眺め、ドアの外で待機した。
突如、信じられない程の腕前のピアノが奏でられて僕は唖然とした。
心を掴まれるような・・。
切ない、音の洪水が押し寄せてくる。
色があるとすれば虹のように音がキラキラと主張して光り輝いていた。
「すごい・・。ピアノって、こんなに美しい音を奏でる楽器だったんだ。
僕の習い事程度のピアノとは全然ちがう。この演奏は・・本物だ・・。」
僕は高鳴る心臓を落ち着けるように、目を閉じて深呼吸をした。