ご令嬢は天才外科医から全力で逃げたい。
忌々しそうな声で父は吐き捨てるように呟いた。
「あいつが儂の子なら良いのにな・・。あんなに好きだった菫を憎んでしまうなんて。
しかし、あの反抗的な目、菫も聖人もどうしても許せぬ。
あいつらさえこの家にいなければこんなにイライラせぬのに・・。クソッ!!」
大きくテーブルを叩く音がして、中央に置いてあったガラスの灰皿が転がり落ちた。
少しの間、静かな沈黙が書斎に流れる。
苦しそうに頭を抱えて押し黙っているようだった。
そこに執事が入出し、父に来客を告げた。
「旦那様、大城グループの会長がお見えです。応接間でお待ちです。」
「ああ、すぐ行く・・。」
電気が消されて扉が閉まってからも、机の下から出る事が出来ずに蹲っていた。
真っ青を通りこして僕の顔は蒼白になっていた。
「僕が・・。僕が原因なのか?この家の冷たさの全ての元凶は僕の出自のせい・・。」
呟いた言葉が目の前の暗闇に飲み込まれて消えた。
母と父の関係は幼い頃から冷えていた。
互いに顔を合わさないように避けている様子で、誕生日やイベントなども一緒に過ごす事はなかった。
美桜はその2人の様子を見て、何度も傷ついていた。
「どうしてお母様とお父様は、あんなに憎しみ合っているのかしら?」
僕を見上げるように、クリスマスのご馳走を食べながら不思議そうに首を傾げる。
「さあな。互いに見合いで嫌々結婚でもしたのだろうな。
家は代々見合いだと聞いているし。きっと結婚はしたけど、性格が合わなかったんじゃないかな?」
「私、あんな結婚ならしたくないわ。子供が可哀想だもの・・。」
「そうだな、海は良い奴だけど人は変わるからな。どうなるか分からないよお前も、僕もね。」
「そうね。お兄様は優しいし、素敵な方と一緒になれるわよ。私は海君とだけは結婚しないんだから!!」
何かを思い出して顔色が翳った美桜は、グサリとケーキをフォークで刺して口に運んだ。
ついこの間のそのやり取りを思い出した僕は眉を顰めた。
「ごめん美桜・・。僕のせいだった。」
数週間後、DNA鑑定の結果を見た僕は全てを納得した。
あいつは父じゃない。あの母さえも父を裏切っていた。
集めた数々の証拠を封筒に入れて隠すと、「二条 慧」と名を変えた親友の元へメールを送信した。
パソコンは初期化をして閉じる。
全てを暴き、命を賭けて美桜をこの恐ろしい檻から自由にする。
「それが全ての元凶である僕の役目だ・・。ハル、ごめん・・。美桜・・どうか君は自由に生きてくれ。」
そう呟くと、秀麗な美貌を持つ聖人は儚げに長いまつ毛を濡らした。
銀色のナイフが白い光を帯びて振り下ろされた。