ご令嬢は天才外科医から全力で逃げたい。
明るいダイニングテーブルに腰かけ、私が作った朝食を幸せそうに頬張る慧を見て少し笑ってしまう。
「美桜、今日も美味しいよ。このサーモンとこのソースの取り合わせが絶妙だな。」
嬉しそうに、スープを飲みながらベーグルサンドをナイフで一口大に切って上品に味わっていた。
私は、リビングに置いてあった書類に目を通して署名を済ます。
「お口に合って良かったです。委任状はサインしたんで、リビングテーブルに置きますね。」
魔性なのか、策士なのか。
私も結局、慧の宣言通りに謎の多い彼を・・厄介だけど好意を持って見つめてしまう。
これは恋愛が見せる錯覚だと、言い聞かせ首を横に振った。
誰かを信じる事など出来ないし、しては行けないと私の中の何かが警告をする。
少し溜息をついて、ソファに腰掛けるとキッチンから持ってきたカフェラテを口に運んで窓の外の景色を見つめる。
いつの間にか食べ終えた慧が、私の背後からそっと首に腕を回して抱きしめる。
急に感じた温かさに私はカップを取り落としそうになった。
「色々片付いたら、何処か遠くへ行かないか?」
私は驚いて目を見張った。
「遠くって・・何処へ?」
大きな瞳を揺らして見上げた私に、優しい微笑みが答える。
「君が行きたい場所に何処でも連れてってあげる。だから、もう少しだけ我慢して・・。」
痛みに耐えるような声に、一瞬ビクリと震えた。
私も、慧も同じ不安を抱えている。
私達の未来・・。
半年後の藤堂海との結婚についてはお互いに、一切口にしないで生活をしている。
自分達が今にも割れそうな薄氷の上で、今の生活を続けている不安が付き纏っていた。
「何かあったら、何時でも電話して。オンタイムは無理だけど、すぐに駆け付けるから。」
私はカップをテーブルに置き、クスリと笑う。
「有難うございます。何かあったら貴方に必ず連絡しますから・・。どうか、そんなに気を張らないで下さい。」
「あはは、それは無理だよ。こんなに安らぐ日々は今まで無かったんだ・・。君がいなくなるなんてもう耐えられるか不安だ。
君が俺を嫌にならない限り、一緒にいて欲しいな。」
「私としては非常に残念なんですが・・。
とても快適に過ごさせて頂いています。貴方を嫌になる気配もないので、当分一緒ですかね。」
悪戯っぽく微笑むと、目が合った慧にほっとしたような表情が浮ぶ。
「そう?なら嬉しい。今日も大好きだよ美桜。」
「・・私も、好きですよ。」
慣れない気持ちの吐露に、私は頬を染める。
額にサラリと落ちた黒髪がくすぐったい。
優しく笑った美麗な顔が上から降りてくる。
私は横をそっと向けられて唇を奪われる。
後ろから強く抱き締められたまま、口づけられた私は、朝から幸せを感じていた。