ご令嬢は天才外科医から全力で逃げたい。
眠気覚ましの缶コーヒーを右手に持ち、大きな固めのソファに座る。

外来の診察を終えた慧は、医局に戻り携帯を確認していた。

その矢先、知らない番号からの着信に怪訝な表情を浮かべながらも、通話のボタンをそっと選択した。

聞いたことのない声の主は美桜から何度も話に聞いていた研究室の友人、館林理央の声だった。

彼女の声には、かなりのストレスがかかっていた。

落ち着かない調子で喋りだした理央の声に緊張が走る。

「館林さん、・・美桜は、彼女に何かあったんですか?」

理央から告げらた言葉に、慧は驚いて自分の耳を疑った。

「分かりました。帝都ホテルですね。美桜の母親が出てきたとなると厄介だ。
僕はすぐに、帝都ホテルへ向かいます。連絡してくれて有り難う、感謝します。」

通話ボタンを切ってズボンのポケットへと携帯を荒く突っ込んだ。

強張った表情を浮かべた慧に、守田が心配そうに声をかける。

美桜の母親・・。

全く慧にとっては、良いイメージなどひとつもない女。

唯一の救いは、彼女を産んでくれた人間だと言うことだ。

彼女が出てきたとなると、あいつも・・。

「守田先輩、出てきます。急いで行かないと・・。」

寛貴は、頷き「今日は午後のオペがないから大丈夫だ。気をつけて行けよ。お疲れ!」と、肩をポンと叩いた。

コーヒーカップを流しに置き、そそくさとホワイトボードに文字を書いた。

顔色が冴えない美貌を陰らせ、白衣を脱いだ慧は医局から早足に駆け出したのだった。



場所はそこから車で30分位離れた、宿泊客や、催しに大勢が訪れる豪華絢爛なホテルの中。

人が行き交うホテルのロビー近くにあるラウンジに美桜は居た。

母と向かい合って、フカフカの椅子に腰かけ、ホテルのオリジナル紅茶を頂いていた。

香り高く、華やかな茶葉の香りが鼻を抜けていく。

「美桜さん、貴方・・挙式が決まった事は海君から聞いているのよね?
何故、彼から逃げたのかしら・・。
携帯電話の番号も換えて、引っ越しまでするなんて。
流石に今までみたいにはこちらも黙っていられないわよ。どうなっているのか説明しなさい。」

目の前のテーブルには、ゴージャスな色とりどりのケーキや、マカロン、小さなサンドにフルーツのタルトなどが所狭しと宝石のように並んでいた。

しかし、私には折角のホテルメイドのお菓子の美味しい味は少しも感じられない。

砂を噛んでいるような感触がした。

「お母様、ごめんなさい。私は海君と結婚するつもりはないの。昔から、私は彼とはお互いの考え方も、価値観も違いすぎるのよ。」

母は、一際ラウンジ内でも目立つ着物姿と、麗しい美貌で私を冷たく一瞥した。
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