ご令嬢は天才外科医から全力で逃げたい。
廻りだした運命。
機械式での診療受付や、支払い機器が数台設置された大きなエントランスホールが広がっていた。

回転式に患者や、見舞いの客が一日何千人と出入りがある大きな大学病院。

この巨大な、白亜の巨塔の中で整形外科医として勤務していた藤堂海は夜勤明けの疲れた体で自分の椅子にドカリと座り、ぐいっと天に向かって伸びをした。

机の上に置かれたコーヒーのいい香りを嗅いで、ぐいっと流し込む。

いつものように、エレベーターに乗り込むと別の診療科の入院病棟に向かって歩を進めた。

「おはようございます、藤堂先生。」

入院病棟の看護師から慣れた感じで挨拶を受けると、海は笑顔で挨拶を返した。

ある病室の前まで来ると、立ち止まり扉をノックをする。

返事はない事は分かっているのに、いつもの日課のようにこれを繰り返していた。

「癖だな・・・。いつもやってしまう。」

自分に自問自答しながら、卑下た笑みを浮かべた。

ガラリと扉がスライドし、大きな白い個室が広がる。

ベッドの主は、機械が付けられたまま深い眠りの中にいた。

「藤堂、美桜の気持ちは大切じゃないのか?山科の言いなりになって結婚するのが、お前の言う守り方なのか?」

ホテルのラウンジで聞かされた二条 慧の言葉が頭を過る。

心拍数を映し出すモニターを見ながら、海はため息をついた。

「山科の言いなり・・。そうだな、こんなの可笑しいのかもしれない。
誰も幸せにならない、誰も自由じゃない・・。美桜だけは幸せにしてあげたいと思うのにな・・。」

部屋の中に響く機械音は、24時間365日音を奏で続ける。

「どうしたらいい?お前だったらどうするんだ。頼む、目を覚ましてくれ聖人・・。」

青白い顔に長い睫毛のその人物は、今日も眠り続ける。

いつ目覚めるのか分からない。

その存在さえも秘匿されたまま、山科家のタブーとして機械に命を繋がれたまま呼吸をしていた。

月に1度だけ、ひっそりと訪れる彼の母以外は誰も会いに来ない。

この病院に勤務するようになった海は毎日時間を作っては会いに来ていた。

いつか目覚めた聖人を美桜に会わせてあげたいと思っていた。

死んだと思ったいた兄が、もし生きていたと知ったら彼女は少しでも救われるのだろうか?

医大の3回生だった海の元にあの連絡が来た日を思い出す。

美桜の唇を奪ってしまった花火大会の数か月後、実家からの1本の電話で呼び戻された海は、衝撃的な事実を聞かされた。

彼女にもすぐにでも会いに行きたかったが、命を取り留めた聖人の側で数日間を過ごした。

「どうして・・。何があったんだ、聖人!!おい、美桜がどんなにショックを受けたと思うんだ!!」

怒鳴りつけた声に、一瞬ピクリと指が揺れた。

しかし、瞳は閉じられたまま今まで眠り続けていた。

山科の父は、これを醜聞として隠蔽した。

地元ではなく、東京の病院へと送ると一度も見舞いに来なかった。

美桜は聖人の事件の時に見た、親の対応に疑問と異常性を感じてしまったんだろうな・・。

勝手に東京の大学を受け、1人で暮らし始めてからは家に戻る事をしなくなった。

彼女の絶望は、自分が考えているよりも遥かに大きかったのかもしれない。

「俺は俺のやり方で美桜を守る。」

二条 慧の瞳の強さと、彼の信念が込められた言葉を思い出す。

海は苦しそうに眉根を寄せて俯いていた。
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