ご令嬢は天才外科医から全力で逃げたい。
凍てついた瞳で見上げた僕を、じっと見つめる義父は表情を変えずにソファに座していた。
「父のようになりたくないんです。
利用されて、簡単に消されるなんて僕は嫌だ。僕には、生きる目的がある。
それには貴方と、西園寺の力が必要なんです。僕が戦ってでも守りたい物の為には・・その力がいる。
そして、僕は貴方達にその対価を払います。」
「ほう、その対価とは何をくれるつもりなんだ?」
「必ず名医になって見せます。
この病院を、僕が更に発展させてみせます。」
唸るように僕を見つめる父に、口角を上げ微笑んだ。
「そうか・・、君はそうしたいんだね。
では僕も義父として、君の望みに見合った出資も惜しまない。
もう1つ質問させてくれるか?
君はまず名医になるためにどうしたい?」
「アメリカに行きます。
あちらなら飛び級して医学部に入る事ができます。
優秀な成績を持ってこちらに帰って、そして日本の医大に入り直します。
様々な場所で経験を積んで最後はここに留まるつもりです。
但し、僕には見守りたい人がいるんです。
たまに日本に帰って来てもいいですか?」
不安気な瞳で尋ねた僕に、義父は笑顔で頷いた。
「僕達はこれから親子になるんだぞ。
私や妻にも会いにちょくちょく戻って来なさい。
僕達は君とはちゃんと親子の関係になりたいんだけどな・・。
いきなりアメリカに行かれるなんて少し寂しいが、それも君が進みたい道なら仕方ないな。」
その言葉に驚いた僕の前に、今まで黙ってソファに座りながら話しを聞いていた義母が涙を流して立ち上がり、僕を抱きしめた。
「こんなにまだ小さいのに・・。そんなに全てを背負わなくてもいいのよ。
病院を継がなくても、名医じゃなくても、私の息子になってくれるならこんなに嬉しい事はないわ。
私達は、いつでも貴方の帰りを待っているわね。」
背が低く、ふくよかで優しい義母が僕をぎゅうっと強く抱きしめた。
母のぬくもりも知らずに育った僕にとっては、初めて知った母のぬくもりだった。
「有難うございます・・。お・・義母さん・。」
棒読みの言葉でも、義母はくしゃっと目を細めて優しく微笑んだ。
その笑顔に何故か僕は安堵し、一筋の涙が流れた。
「じゃあ、君は今から僕の息子になる。
君は今から春海 啓ではない。これからは二条 慧だ。」
「はい、義父さん、義母さん。不束者ですがどうぞ宜しくお願いします。」
僕は深く頭を下げて父と母に感謝した。
行く当ても、帰る場所さえも失くした僕の新しい人生がこの日始まった。