ご令嬢は天才外科医から全力で逃げたい。
鍵先が怜悧な光を帯びたウォード錠を握り、私はゴクリと喉を鳴らした。
「これは何?・・・私こんなの挟んでないのに!?・・一体誰が?」
慧は、驚いている私の隣にそっと寄り添う。
私の手から鍵を受け取ると、大きな両手で持ち上げて上から下から眺めていた。
「ウォード錠って事は、アンティークの鍵だな・・。しかも、持ち手に繊細な細工が成された立派な物だ。」
「アンティーク・・。そんなの家にはごまんとあるわ。一体、これは何の鍵なのかしら。」
不安気に慧を見つめる私に、慧は落ち着いた様子で何かを思案していた。
「ずっと前から、探している物があるんだ。もしかしたら、その真実を導く為の「切り札」の1つの鍵になる物かもしれない。」
「真実って・・・。一体どんな?」
私は高鳴る心臓を落ち着けるように、深く息を吐く。
「山科には、秘匿している事実がある。その鍵が導く先には、君の知らない事実が隠されている可能性が高い。
そして、それは山科を崩壊に導いてしまう可能性があるタブーなんだ。」
「そう・・なの。
私の家には秘密が沢山あったの。
生まれた時から虚飾と嘘で飾られた家名を守ると言う名の正義の元で間違った正義がまかり通っていたのよ。」
私は、苦しそうに眉根を寄せて慧を見つめた。
慧は私の震える右手を温かい両手で包んで、優しい眼差しで見つめる。
「秘密・・?それは、どんな?」
「そうね、隠し事と言った方が良いのかしら・・。
家族の互いの行動に触れたり、意見してはならない。親の命令は絶対。
親が我が家の法律で神様のような存在だったの。
逆らえば、自分の子供だろうと蔵に閉じ込められて寝食を与えられなかったわ・・・。
私や兄はその恐怖政治の元で、従順であるように育てられたの。」
「でも・・。君は自由に今生きようとしている。その洗脳のようなインプットは解けたの?」
慧の心配そうな表情に、私は微笑んだ。
「お兄様がね、私に教えてくれたの・・。命を懸けてね。」
ズキッと痛む胸を押さえて慧の顔を見上げた。
無意識に、ふいにポロリと涙が溢れ出た。
私の言葉に痛むような瞳で慧はそっと頬に触れた。
触れた手の温かさに胸が苦しくなる。
「君の・・お兄さん?公にはご病気で亡くなったとされている山科 聖人?」
私の瞳が陰りを帯びた。
「そうよ。優しく、賢い兄はいつも私を庇ってくれたわ。あの家で唯一の味方だった・・。」
まだ私が家の異常性を理解する前の、何処か諦めた自分を思い出していた。
そこに優しい聖人の笑顔が過った。
私の記憶の鍵が開けられる・・。
ずっと思い出さないように奥に封じ込めた、あの日の記憶が再生された。
英英辞典を借りに、兄の部屋へと向かっていた私は一緒に食べようと大好きなマカロンをお皿に乗せ、長く広い廊下を小走りで走っていた。
ついでに、英語の分からない所も教えてもらおうと思っていた私は学校帰りに人気のお店に並んで、マカロンを手に入れて嬉しそうに笑っていた。
ノックを2回して、返事を待ってもいつもの優しい兄の声は返って来ない。
「お兄様? 帰ってらっしゃると聞いたのですけど・・。いらっしゃらないの?」
不思議に思ってドアをゆっくりと開けて部屋へと一歩進む。