ご令嬢は天才外科医から全力で逃げたい。
「救急車でこの町の病院に運ぶよりも、守秘は守られます。
万が一の時はここには置きません。貴方に迷惑がかかる事はないように計らいます。」

母は、青ざめた表情で父の顔を見ないで応える。

不愉快そうな父は酷薄な笑みを浮かべて母に問う。

「では、万が一その秘密が外部に漏れるような事があった時はお前が償うのだぞ?お前に差し出せる物など何1つないだろうからその時は、聖人と共に逝け。」

愕然とした私は、身体中の血液が冷やされていくような寒気が込み上げた。

吐きそうになりその場に蹲った。

「・・・承知しました。万が一、助かったとしても・・。わが身に代えても、聖人の事は秘匿とさせて頂きます。勝手を言って申し訳ございません。」

母は、美しい所作で深々と頭を垂れた。

涙がボロボロと零れて、呆れて物が言えない私を父は振り返って笑った。

「聖人が駄目でも、藤堂の所の海君がいる。彼は医学部でも優秀だ。お前と夫婦になり、藤堂と山科を盛り立てて行けば良い。」

「・・・嫌です。私は海君とは結婚しません。
出てけと言われれば、喜んで出て行きます!!私は貴方が許せない・・。
貴方も母様も化け物です!」

顔を上げて睨みつける私をあざ笑うように、見降ろした父が声を出して笑い出す。

「あははははは。面白い事を言う。お前はユーモアのセンスもあったんだな。ただの人形かと思っていたが、感情があるようだ。」

「何を・・私にもお兄様にも感情はあります。痛みだって感じるのです!!貴方のような化け物とは違う。」

「ほう、お前は家から出て自力で生活した事はないだろう?
蝶よ花よと何不自由なく暮らして来たお前が一人で生きる力などないくせに・・。生意気ばかり言うんじゃない!お前は藤堂と山科の子を産む道具だ。黙って従え!!」

兄の部屋にあった椅子を蹴り上げて、道を作った父は私を睨みつけて部屋から出て行った。

私は、泣いている使用人と無表情で立ち尽くす母を見上げて絶望してその場から走り出した。

家を飛び出して、全力で丘の上にある図書館まで走った。

小学生の頃、よくハルと会って笑いあった図鑑のコーナーのテーブルへと足を運ぶ。
あの頃は丁度良かった椅子は、もう小さくて座りずらい。

「ハル・・。どうしよう・・。もう、私・・・。あの家には居られない・・。」

図鑑を開いて空想しようにも、何も浮かばなかった。

残虐な父の言葉と、何も反論できない母の姿。

床に頽れたお兄様の姿が何度も浮かんで来る。

吐きそうで、粗くなった呼吸を苦しそうに胸を押さえて涙を堪える。
嗚咽となって言葉にならない想いを飲み込むように唇を血が出るまで噛みしめていた。

「助けて・・・。お願い、ハル・・。」

泣きながら、気を失うように眠りについた。

閉館のアナウンスと、警備員の声で現実に戻った私はその日家に帰らずに24時間営業のファミレスで一夜を明かしたのだった。

翌朝、家の者に探し出された私は蔵に鍵をかけて閉じ込められた。

そこで、聖人の死を母から伝えられたのだ。

<ハルは言っていた。

ここから出れないとしたら、そう思いこんでいるだけだと・・。

それすらも、ただの親からの恐るべき洗脳であったのだと思った。

何としても、ここから出て恐ろしい化け物達の思い通りにはならない自分になるのだ。

ここから遠く離れた地で、生涯食べていける知識や資格を得て自立する必要がある・・。>

私は、決意を込めて蔵の天井から差し込む一筋の光を見つけて目を細めた。
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