ご令嬢は天才外科医から全力で逃げたい。
「聖人を守るために・・。貴方に会ってから、私なりに考えたんです。
私は、この山科の家を出ようと思っております。」
目が点になってしまうほど驚いた慧は、気持ちを落ち着かせる為に息を吐く。
「正気ですか?何故、今更なのです・・。もっと早ければ彼だって・・美桜もあんなに傷つかなくて済んだのに。」
眉間に皺を寄せた慧が、睨みつけるように菫を剣呑な瞳で見つめた。
「・・・決心がつくまで時間が掛りました。
私の人生を間違いだと認めるのに・・。
子供たちには、申し訳なく思ってます。
聖人を壊して始めて気が付いたの・・。
私は情けない母親なんです。」
こげ茶色の美しい瞳を潤ませた菫は、視線を落として切なそうに笑う。
悲しそうな表情の菫は、美桜と重なった。
聖人を想い涙を流していた彼女の姿と同じだった。
「・・・貴方は潔いですね。
自分の人生を間違えたと認める事は難しいです。誰かに指摘されても、認めたくないものだと僕は思います。
美桜と同じですね・・・やっぱり貴方は強い人だ。」
慧は、始めて菫の前で優しく笑った。
その美麗な顔は美しく菫に映し出される。
「漸く、私も自由になれます。二条さん、美桜をどうぞよろしくお願いします。」
驚いた僕は、顔を上げて菫を見つめた。
いつも美しく枯れる事の知らない造花のような菫が、初めて人間らしく微笑んだ。
「正直、驚きました。
貴方の今までの境遇を知って、山科を憎んでいらっしゃるとは思っておりましたが。
既に全てにおいて、諦めていらっしゃるのだと思ってました。」
小さなため息を落とした慧の瞳を見つめる菫の顔は、清々しい表情を浮かべていた。
「諦めた方が楽ですもの。人生なんて、長い物に巻かれた方が楽なのです・・。
私がそうやって生き続ければ、聖人はいつかその存在を知られ命を狙われるでしょう。
それは私もあの人も耐えられない。
あの子が生きているだけで私はいいんだと気づきました。」
「そうですか。貴方の旧姓は中屋敷。
その時代からの執事であった倉本さんは優秀で生涯貴方に忠誠を誓った方だと聞き及んでおります。
お2人共・・。どうか、末永くお元気でお過ごし下さい。」
噴き出した菫は、隣に立ちながら礼を取り美しい姿勢で立っている倉本を見上げた。
「貴方は、本当に恐ろしい方ね・・。何でもご存知なのね。」
澄ました顔で微笑む慧と、艶やかに微笑む菫の表情を見た倉本は難しい表情をしていた。