これを愛と呼ばぬなら
 間違いない、あれは新井さんだ。ライブラリーで会った時と違い前髪を上げ、三つ揃えのスーツをピシッと着こなし、秘書らしき男性と会話を交わしながら颯爽と歩いて行く。

 それなりの立場にいる人なんだろうなとは思っていたけれど、まさか社長だったなんて。……しかも、この会社の?

「美沙ちゃん、お辞儀」

「あっ、はい!」

 依里子さんに言われ、慌てて頭を下げる。ゆっくりと顔を上げると、たまたまこちらを振り返った新井さんと目が合った。ほんの少し目を見開いて、でもすぐに何事もなかったかのように前を向くと、そのままビルの外に出て行った。停めてあった車に乗り込み、去って行く。私はそれを、呆然と眺めていた。


 定時で仕事を終え、制服から着替えてビルの外に出る。外の空気を吸って、ほうっと大きく吐き出した。「よし」と小さく唱え、人ごみの合間を縫って駅を目指す。

 歩きながら、今日一日起こったことを思い返していた。

 目まぐるしい一日だった。新しい仕事に新しい人間関係。全てを覚えるのに必死で、一日中気が張り詰めていた。

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