これを愛と呼ばぬなら
 新井さんの言う通り、薮内さんのお料理はとても美味しかった。豪快なイメージの人だけれど、お料理はどれも繊細で優しい。品数も多いのに、するするとお腹に収まってしまう。

「このホタテ美味いな」

「お肉も美味しいです。こんなに柔らかくてジューシーなお肉食べたことない」

 薮内さんのお料理のおかげもあって、あんなに緊張していたわりに、新井さんとの会話はとても弾んだ。新井さんが、お互いの立場の違いを感じさせないようフランクに接してくれたのもある。男性と向き合っていて、こんなに楽しい時間を過ごしたのは初めてだった。

 食後のデザートとコーヒーを前にした時だった。しばらく静かにコーヒーを飲んだ後、新井さんが徐に口を開いた。

「それにしても、驚いた。潮月さんがうちの会社に来るなんて」

「驚かせてごめんなさい。私も、まさか新井さんの会社だなんて思ってなくて」

「派遣の仕事は長いの?」

「いえ。……実は私、前職は保育士だったんです」

「保育士?」

「事情があって、園を辞めなくてはならなくなって」

 派遣先の社長に、どこまで話すのが正解なのかわからない。そこまで言って口ごもっていると、何かを察したのか、新井さんが話題を逸らしてくれた。

「ひょっとして、約束の日に来られなかったのと仕事を辞めたこと関係ある?」

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