これを愛と呼ばぬなら
薮内さんのお店を出て向かったのは、海だった。
近くの駐車場で車を降り、砂浜へと入る。四月の夜の海にはさすがに誰もおらず、海岸線に沿って建つマンションやレストランから届く明かりが、潮が引いたばかりの砂浜を薄明るく照らしていた。
「寒くない?」
「コートがあるので大丈夫ですよ」
就職に合わせて新調したばかりのスプリングコートを着てきていた。着慣れないコートの胸元を握って思わず笑みをこぼす。このコートが都会のビル群の中ではなく、夜の海辺で役に立つとは買った時は思いもしなかった。
ほんの数か月前までとは、着る服も日々こなしている仕事もまるで違う。以前の私なら、週末の夜に住んでいる場所を離れて砂浜に立っているなんてこともなかっただろう。
今の私は、自分の思い描いていた人生とは違う場所に立っている。そのことがなんだか不思議だった。
それにしても、新井さんはどうして私をここに連れて来たのだろう。何か目的があるような口ぶりだと思ったのだけれど……。
新井さんはというと、潮が引いた暗い海を眺めているばかり。話をする様子もない。
何か考え事をしているのなら、そっとしておきたい。私は新井さんから適度な距離を取って、存在が邪魔をしないよう、気配を消して夜の海を眺めていた。