これを愛と呼ばぬなら
「潮月さん」

 どれくらい経ったのだろう。気がつけば新井さんはさっきより近くに立っていて、私の様子を窺っていた。

「あ、すみません。ボーっとしていて」

「いや、俺の方こそ。放っておいてごめん」

「全然。私も海を眺めてましたし」

 放っておいたという自覚があるんだな、と思うとなんだかおかしくなった。それに新井さんをそっとしておこうと思ったのは私の意志で、別に腹を立てているわけじゃない。

「そろそろ帰りますか?」

 身につけている腕時計を確認すると、レストランを出てから小一時間ほど経っていた。

「いや、その前に……。潮月さん、例の持って来てる?」

「……あ、はい」

 例の、とは新井さんが落とした指輪のことだ。私はバッグの中から空色の小箱を取り出すと、新井さんに手渡した。

 暗くてわかりづらいけれど、雨に濡れた小箱はところどころ包装が破れ、すっかり色褪せている。新井さんは丁寧にリボンを解いて包装紙を取り外すと、ひしゃげた外箱の中から深い藍色のケースを取り出した。

 ケースの蓋を開けると、中には大粒のダイヤモンドがついた婚約指輪が入っていた。

 私は宝石やアクセサリーに疎いから、指輪の価値はよくわからない。でも、彼の手のひらの中の指輪は、この薄明るい夜の中でもハッとするほど美しかった。

< 60 / 83 >

この作品をシェア

pagetop