これを愛と呼ばぬなら
 新井さんは私から海へと視線を移した。しばらく無言で暗い海に立つ白い波を眺めた後、ぽつりと呟いた。

「だからあの日、君が俺の話を聞きたいと言ってくれて、あんなふうに背中を押してくれて、すごく嬉しかった」

「新井さん……」

 もしもあの日、すでに新井さんの立場を知っていたら、果たして私は、彼に指輪のことを言っていただろうか。

 ……きっと言っていたと思う。あの時の私は、少しでも新井さんが楽になればいい。ただそれだけを思っていた。

「俺は……嬉しかったんだよ、本当に」

 新井さんのこぼした言葉が、小さな喜びと共に、ゆっくりと染み入るように私の心の中に響いた。


 駐車場に戻り、私達は再び車に乗り込んだ。

 車内には、新井さんの好みなのか低いボリュームで洋楽が流れている。車の振動と、耳を掠める音楽が心地よくて、私はそっと目を閉じた。

 彼のことを傷つけた。そう思ってあんなに降下した心は、驚くほど軽くなっていた。

 いや、新井さんが軽くしてくれたのだ。

 彼の『嬉しかった』の一言は、私の気持ちをこんなにも浮上させる。まるで心に羽根が生えたみたいに。たっぷりと空気の入った風船が、ふわふわと空を飛んでいくように。
 
 こんな気持ちになったことは初めてで、私にはそれが、とても不思議だった。

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