好きです、が浮かんでも
「ご迷惑なことは分かってます。昇段のお祝いにいただけないかなって」


先生は絶対練習する。


暑中お見舞いや年賀状でも練習する人だから、私の名前、しかもお手本となったら、きっと何回も練習して、何回も清書して、一番出来がいいものをくれる。


もしかしたら色々な大きさで作ってくれるかもしれない。


だから、すごく時間がかかるのは分かってる。


先生がお仕事できたはずの時間を奪っちゃうのも分かってるけど、でも。


課題のお手本は教本のコピーだし、いただいた硯や筆はいいものを先生が選んでくれたけどそれだけだし。


たくさんご褒美やお祝いをもらったのに、いつもチョコとか道具とかだった。

それ以外には思い出しか持ってない。


だから。


……だから、せめて一つ、私に先生の手作りをください。


「私、先生の字が好きです」


いつ見ても、どの筆でも、先生の字は線が美しい。


どこもささくれない、水みたいに流れる字は、ハネがとりわけ美しい。


『ハネは筆を倒して書くんだよ』


先生の字が好き。

先生が好き。


「時間があるときでいいので、先生のお手本をいただけませんか……!」


ぎゅっと両手を握りしめた私を、先生が静かに呼んだ。
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