恋に涙を花にはキスを【コミカライズ連載中】
「ああ、ひとちゃん可愛いね」
「あとは、下の名前で呼ばれるのが定着してました」
さよちゃん、とか。
そう言うと、糸井さんは少し意味ありげな目で東屋さんを見て、私もそれにつられてつい東屋さんの横顔を見る。
東屋さんは、ぴくっと瞼を痙攣させたが、素知らぬ顔だ。
「あー、うちでは『さよさん』って言ったら別の人がいるからさ」
「そうなんですか?」
「そう。ほら、あそこ、西原さん」
「もういいだろ、糸井」
確かさっき、営業補佐の女性社員を紹介された時に聞いた名字だった、と思ったけれど。
それを確かめる間もなく、ぴしゃんと会話をシャットアウトしたのは東屋さんだった。
「じゃあ、一花さん。仕事説明するから来て」
「はい」
……まあ、なんとなく、その意味ありげな空気で、多分誰でも気付くだろう。
東屋さんと西原さんには何かあるのだ、と。
建て替えられて間もないらしいこの会社は、どこもかしこも綺麗で快適なオフィス空間だ。
そういえば着いて一番初めに行ったトイレもすごく綺麗だった。
「入って」
東屋さんに連れられたのは、すぐ隣にあるミーティングルームだ。
彼は私を中に促すと、自分は扉を少し開けた状態でストッパーをかけた。
おお、すごい。
気遣い完璧だ。
「じゃあ、まず……」
「あ、すみません。先にメモ取っていいですか」
「え? ああ、いいけど」
まだ何も説明していないのに、と東屋さんが訝しむのは当然だが、仕事の説明に入る前に、私はこれまでの視覚情報を記録しておかなければいけない。
すぐすみますから、と真新しい仕事用に用意したメモ帳を取り出すと、これまで頭の中でデータ化して留めおいたものを文字で起こし始めた。