寵妃花伝 傲慢な皇帝陛下は新妻中毒
彼の声は低く、だが甘やかで、想像よりもずっと若かった。
村では、偉大な皇帝陛下は人ではなく神のような存在だったので、もっと恐ろしい声をしているのだろうと思い込んでいたのだが、返ってきた声はそうとは思えない。
(言語道断って……あんまりだけど)
暗闇の中、藍香は唇を尖らせる。
たったひとりの身内である祖父がどれだけ心配しているだろうと、そのことを考えるだけで不安で胸がつぶれそうになる。
好きで皇帝に召されたわけではない。いきなりやって来た皇帝陛下の使いが、有無を言わさず藍香を都に連れてきたのだ。だから『これも国のため、大事なお役目だ』と、なんとか自分を励まし、覚悟してここにいるというのに、皇帝陛下は一方的で、藍香に対する最低限の礼儀もない。
(ああ、そうなんだ。皇帝陛下って、こういう人なんだ……)
もちろん身分が違うとわかっているが、どうしてもムクムクと反発心が湧き起こってくるのを藍香は抑えられない。
そして同時に、藍香を村から送り出すときの、親友の林杏(りんしん)の言葉を思い出していた。
『いい、藍香。皇帝陛下は同じ人ではないのよ。その気持ちひとつで他人をどうとでもできる、恐ろしい人。あたしたちとは違う世界の人なの。じたばたしたって仕方ないの。こうなってしまったんだから、とりあえず皇帝陛下に身を任せればいい。なにが起こったって、目をつむっていれば、事は終わるわ』
林杏は今年結婚が決まっている。だから藍香の人生の先輩ともいえる。
(そうね……林杏の言う通り。目をつむって通り過ぎるのを待つだけ。それでいい……しょせん、相手は皇帝陛下。自分とは住む世界が違う人なんだから)
ざわついた心を鎮めようと、藍香はゆっくりと息を吐いた。
しばらくの間、竜樹は横たわった藍香の腰のあたりに、片足を立てて座っていた。
己の膝を両手で引き寄せあごをのせ、まるで観察するかのようにじっと藍香を見下ろしていたが、ようやくその気になったのか足を下ろし、藍香に顔を近づける。
そして突然、竜樹の手が藍香の頬の上をすべり、なでた。
「肌は陶器のように白くなめらか……髪はまっすぐで長く、青みがかった黒……まぁ美しいと言えなくもない」
竜樹は手を藍香の首の下に差し込むと、そのまま髪の感触を楽しむように、毛先まで手のひらをすべらせた。まるで髪に神経でもあるような気がして、藍香の首のうしろが粟立った。