寵妃花伝 傲慢な皇帝陛下は新妻中毒

 竜樹は、足早に大理石の廊下を歩いていた。深夜の後宮に明かりはついていない。だが今宵は月が明るく、足もとまではっきりよく見えた。

 コツコツと苛立ったような音が夜の静けさに響く。
 竜樹が今晩藍香のもとに通うのは儀式上当然のことで、そのほかの女たちは皆早めに就寝しているはずだ。もちろん竜樹と新しい妃の動向を、後宮の女たちは気にしているだろうが、表向きはそんなふうに見せないよう静かにしている。

 だが新しい妃との初夜は思いもよらない形で、呆気なく終わってしまった。


(なんだあの娘は……)


 思い出すのは藍香の無礼な態度だ。


(皇帝に名を呼ばせようなど、いったいどこの高貴な身分の者のつもりだ)


 竜樹は桐翼の皇帝であり、藍香は何者でもない、ただの女だ。
 自分が求めたわけでもなく、ただ成り行きで妻にすることになった、それだけの女だった。

 だから抱いてもいいし、抱かなくてもいい。

 そんな気持ちで寝所に入ったのだが、寝台の上で横たわる藍香をひと目見て、多少心引かれるものがあったのは事実だ。

 まるで初夏の泉のような、爽やかでひんやりとした手触りのなめらかな黒髪。一年の大半が雪と氷で覆われる桐翼そのままを象徴したような、白い肌。
 つい先ほどまで、ほっそりとした体を初夜のために用意された花嫁の衣装に包んでいた、琥珀色の瞳を濡らし寝台の上で緊張で震えていた藍香を見て、竜樹の欲望に火がついた。

 女をいたぶる嗜虐(しぎゃく)趣味があるわけではないが、とにかく藍香のたたずまいに妙にそそられるものがあった。


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