私と恋をはじめませんか
「……そうですね。大丈夫ですよね」

そうやって笑ってから三十分後、

「……え? 弊社の商品で、歯が、折れた……?」

『どーしてくれるんだよ。お前んとこのせんべい、堅すぎるんじゃねぇのかよっ!』

耳元から受話器を離しても、頭の奥にまで響き渡る大声で、私はお客様からの苦情の電話を受けている。

電話を取った途端、私が名乗る間もなく話し出した男性は、数日前から歯に異変を感じていたらしい。

そして昨晩、家にあった我が社のおせんべいを口にしたところ、そのグラグラしていた歯がポロッ、と取れてしまった。

おせんべいが堅いのが原因だ、と感じた男性はすぐさまお客様相談室に電話をしたけれど、営業時間外のアナウンスが流れてきて、怒り心頭。

日が明けて、今日の朝一番にこうして電話をかけてきた、とのこと。

確かに、お客様の食べたおせんべいは、うちの商品の中でも堅めの商品だけど、その堅さが昔からの味が好きな人に好まれて食べ続けられているロングセラー商品だ。

歯が折れるきっかけのひとつにはなってしまったかも知れないけれど、それはあくまで結果論であって、数日前から異変を感じていたのなら、おせんべいのせいだけではないと思う。

……と思うけれど、男性はとにかくうちの商品を食べたからだ、の一点張りで。

『会社休んで歯医者に行った分の給料と、治療代、当然払ってくれるよな』

「え……?」

それはあまりにも横暴な要望で、思わず黙ってしまった私に、尚も男性は怒り飛ばす。

『まさか姉ちゃん、払えねぇってなんてこと言わねぇよな』

「そ、それは……」

律子さんが席を立って、私の横へやってこようとした瞬間。

左手にあった受話器がすっと私の手から離れていった。

「お電話代わりました。私、高原の上司の、篠田と申します」

口パクで「大丈夫」と言った篠田さんは、淡々とお客様応対を続けていく。

驚きで動けない私を、律子さんが椅子に座った状態のまま少し横へとずらし、代わりに篠田さんの椅子を彼の後ろへと持っていく。

応対をしながら、スムーズに篠田さんは椅子に腰を掛け、尚も応対を続けている。

謝らないといけないことは謝罪する。でも、出来ない要求に関しては、きっぱりとお断りする。

静かに、声を荒げることはなく、でも威厳を持って対応する篠田さんの姿から、私は目を離すことができなかった。

電話がかかってきてから三十分がたった頃。
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