クールな彼のワケあり子育て事情~新米パパは甘々な愛妻家でした~
「姉は未婚のまま律己を産みました。父親は誰だか知りません」
エレベーターの脇の階段の、一番上の段に並んで腰を下ろし、有馬さんが話し始めた。正面の商業施設の照明をエレベーターの筒が遮って、私たちの周囲を影にしている。
「一人暮らしをして働いていた姉は、律己を身ごもった状態で突然実家に帰ってきたんだそうです。でもやはり居づらかったらしく、また出ていくと言ったので、俺が一緒に暮らすことにしました」
階段の下を見つめながら、当時を思い出しているのか、有馬さんが口元に手をやり、たぶん無意識に、親指を噛む。
「あのマンションは、姉と暮らすために買った部屋です。ふたりで毎日、律己が出てくるのを待ってた」
そこで私の存在を思い出したように、はっとこちらを見て、バツが悪そうに「変に聞こえるかもしれませんが」と続けた。
「俺の母も、先生のお母さんと同じく、キャリアでした。六歳上の姉は、部活が終わると毎日俺を学童保育に迎えにきて、連れて帰って飯を作って食わせてくれました」
足元の線路で、これから車庫に入る貨物列車が、息を吐くような音をたてながらパンタグラフを畳む。
「俺にとっては母より母でした」
ゴトン、ゴトンとゆっくり寝床に向かう貨物列車を見つめながら、有馬さんがぽつんとつぶやいた。
「律己が1歳になる前に姉は事故で死にました。当時のことを、俺はあんまり覚えていないんですが、母が律己を引き取ると言い出して、父を説き伏せて近くに越してきたんです」
「それで、おばあちゃんのところに預けたんですね」
「そうです。俺は律己に関することはなにもできないとわかっていたので。先生も知っている通り、最近までその状態が続いてました。母はたぶん、姉に手を貸さなかったことを、悔いているんだと思います」
どこの誰ともわからない相手との子を作って戻ってきた娘を、きっと心からは迎え入れることができなかったのだ。
そのこと自体はとても理解できる。そしてそれは、もしかしたら時が経つにつれ、薄れていったものだったかもしれないのに。
それより先に、おばあちゃんは娘を失ってしまったのだ。