クールな彼のワケあり子育て事情~新米パパは甘々な愛妻家でした~
「本当です」


答えさせておきながら、そうですか、ともなにも言わない。

階段の下り口で、私たちはふたり、目も合わせられないまま佇んだ。


「あ、律己、迎えに行かないと…」


また、はっと気づいたのは有馬さんだった。

あっ、そうだった。


「すみません、お引き留めして」

「いえ、それじゃあ」

「お仕事、お疲れ様でした、また月曜日に」


階段を下り始めていた彼が、ふと足を止めてこちらを振り仰ぐ。

その顔つきには、心の中を吐露してしまった照れくささと、半分まだ私を信用しきっていないようなすねた子供っぽさと。

それから、この距離で、いきなり受け止めるにはまっすぐすぎる、純粋な、なにかの感情が表れていた。

ドキッとしてしまったのは、きっと向こうにも伝わった。


「また、月曜日に」


私の言葉を復唱して、彼が少しだけ笑顔を見せた。

慌ただしく駆け下りていく足音。

この跨線橋からは、保育園の入っているマンションが見える。折れた階段の下に消えた有馬さんが、見下ろす私の視界に、やがてまた入ってきた。

歩道の上を、マンションに向けて駆けていく。体育会系ではないと言ってはいたけど、その走り姿はいかにも運動をしていた人のそれだ。

私が見ていることに気づいているのかもしれない。だけど振り向かないって決めている。そんな気がする。

どうして? 照れくさいですか?

目が合ったところで、手を振るのも気恥ずかしいし、かといってそれ以外にどうしたらいいのかわからないからですか?

私はひとりでくすくす笑い、保育園の入り口の前に彼が辿り着いたあたりで、見るのをやめてあげることにした。

跨線橋をもう一度戻り、自分のアパートへ向かう。

久しぶりに履いたヒールが、コツンコツンと女らしい音を立てる。

空は穏やかな夕焼けから藍色の世界に変わる頃。

カラスが鳴いていて、それが『おうちに帰る時間だよ』と聞こえた子供時代を思い出した。



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