クールな彼のワケあり子育て事情~新米パパは甘々な愛妻家でした~
「でも、なにを食べさせたらいいのかなって。もう献立もワンパターンでなに作っても嫌がられるんです、このつらさわかっていただけますよね?」


先頭のお母さんは、背後の列に気づいているのかいないのか、頬に手を当ててため息をついている。彼女の息子は、私の手を逃れてまだ廊下を駆け回っている。

私も引き渡しを手伝うことにした。着替えてしまったけれど、仕方ない。

保育室に入ろうとした、ちょうどそのときだった。

弾けるような悲鳴。泣き叫ぶ声。

はっと振り返った。廊下にふたりの男の子が倒れて泣いている。


「大丈夫、ぶつかった?」


駆け寄って抱き起こし、息をのんだ。男の子の口元が血まみれだったのだ。


「翔太(しょうた)!」


悲鳴を上げて私の手から翔太くんを奪い取ったのは、お母さんだった。泣きじゃくる翔太くんの口にハンカチを押し当てて、私をきっと睨み付ける。


「あんたなにやってたわけ!? 子供の面倒見るのが保育士の仕事でしょ!」


私は翔太くんのけがの具合が気になって、ハンカチを取ろうとした。けれど私には触れさせたくないとばかりに、お母さんが彼を奪い返す。


「歯が折れているかもしれません。見せてください。それと横にしてあげていただけませんか。血を飲み込んでしまうので…」

「謝罪の言葉ひとつもなしなの!」

「申し訳ありません、不注意でした!」


私より先に頭を下げたのは、引き渡しの担当をしていた安井(やすい)先生だった。泣き声を聞いて飛び出してきたらしい。青ざめて震えている。

私も頭を下げた。


「申し訳ありません。あの、翔太くんの口を確かめさせていただけませんか」

「翔太、痛い? 痛い? 今救急車を呼んでもらうからね」


聞いてもらえない。

私はもうひとりの子の様子を見た。石埜先生が見てくれている。おでこが赤くなってはいるものの、大きなけがはないようだった。

気になるのは翔太くんだ。幼児期の歯のけがは、永久歯にどんな影響が出るかわからない。園医の先生なら、この時間でも診てくれるはず。
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