【完】『龍の倅(せがれ)』
◆1◆
伊予の国は東西に長く、宇和島の城下までというと、江戸表から当時は四十日近くかかる遠路で、この僻陬とも言わるべき四国の端に、聞き慣れない読み方の殿様が来たのは、元和と改元の詔があった年のことであった。
「伊達(だて)」
とは当初、民たちはまるで読めなかったようである。
しかも。
殿様は陸奥から来た。
陸奥、と言われてもこの時期、恐らく宇和の民の中で誰もそこまで行ったことはないであろうほど、遥かに離れた国で、現代の日本人がブラジルやアルゼンチンを遠いと感じることに近いような、そういった感覚であったとも言える。
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